別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年3月11日月曜日

花山院菩提寺の御詠歌~花山法皇の有馬富士の歌~





「有馬富士 ふもとの霧は 海に似て 波かときけば 小野の松風」

花山法皇が隠棲した菩提寺の御詠歌。

花山法皇が詠んだ歌。


986年( 寛和2年)6月23日、藤原兼家の謀略(寛和の変)により出家させられた花山法皇は、992年(正暦3年)頃から摂津国の菩提寺に隠棲。

菩提寺は、花山法皇が西国観音霊場三十三ヶ所の中興の祖とされることから、霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。

西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。





有馬富士は菩提寺から見える山。

紫式部の娘・賢子(大弐三位)も有馬富士を詠んでいます(📎蘆山寺の歌碑)。


晩年を菩提寺で過ごした花山法皇は、1008年(寛弘5年)2月8日、京都の花山院で崩御(41歳)。












☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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紫式部と越前国


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藤原道隆は赤染衛門の姉妹と恋仲だった。




藤原道隆は、まだ少将だった頃、赤染衛門の姉妹のところに通っていたらしい。


やすらはで
寝なましものを
さ夜更けて
かたぶくまでの
月を見しかな



この歌は、藤原道隆のことを一晩中待っていた姉妹に代わって赤染衛門が詠んだ歌。



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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2024年3月10日日曜日

帰去来辞~まひろの漢詩と源氏物語:光る君へ第10話~





既自以心為形役
(既に自ら心を以て形の役と爲す)

奚惆悵而獨悲
(奚ぞ惆悵して獨り悲しむ)

「これまで自分の心を犠牲にしてきたのだから、もうくよくよ悲しんでいる場合ではない」

これは、陶淵明の『帰去来辞』の一節。

『帰去来辞』は、官職を辞して郷里に帰る心境を述べた詩。

「帰去来」は、「官職を辞して郷里に帰るためにその地を去る」という意味。


陶淵明(とうえんめい)は下級貴族の出身。

生活のため数回官職に就いたが、下級役人としての職務に耐えられず、いずれも短期間で辞任しています。

紫式部の父藤原為時も下級貴族。

984年(永観2年)、花山天皇の時代に式部丞・六位蔵人に任じられますが、986年(寛和2年)に花山天皇が退位すると辞任。

1011年(寛弘8年)には越後守となりますが、1014年(長和3年)には、任期を残して辞任。

辞任の理由はわかりませんが、何となく陶淵明に似ている・・・


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


三径就荒松菊猶存
(三径荒に就けども松菊猶ほ存す)

「三本の小道は荒れているけども、松や菊はまだ残っている」

これも『帰去来辞』の一節。

「三径」とは、幽居の庭に3つの径(こみち)をつくって松・菊・竹を植えたという故事から、庭につけた3本の小道のこと。

『源氏物語』~蓬生の巻~にも「跡あなる三つの径」が出てきます。

荒れ果てた末摘花の邸宅に叔母の大弐の北の方が尋ねてきますが、庭は浅茅の原となり、生い茂った蓬は軒にまで届く高さ。

「この草の中にもどこかに三つの小道は残っているはず」と皆で捜している様子が描かれています。



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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古今和歌集~光る君へ第10話~




「光る君へ」第10話では、道長がまひろに『古今和歌集』の和歌を贈っていました。

平安貴族にとって『古今和歌集』を暗記することは、教養の一つされていました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


清少納言の『枕草子』には、中宮・藤原定子が女房たちに『古今和歌集』のテストをしている場面が記されています。

📎桜は中宮・藤原定子!清少納言が描いた桜は、散らない桜!


紫式部『源氏物語』にも『古今和歌集』が引用されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「思ふには 忍ぶることぞ 負けにける 色には出でじと 思ひしものを」
(愛しく思う心に、耐える心が負けてしまいました。誰にも知られまいと思っていたのですが・・・)
作者不明

📎思ふには…我慢できない恋心~古今和歌集の歌と光源氏の恋文~


「死ぬる命 生きもやすると こころみに 玉の緒ばかり あはむと言はなむ」
(恋しさで死んでしまいそうな命が救われるかもしれないので、試しにほんの少しでも逢おうと言ってみてください)
藤原興風

「命やは なにぞは露の あだものを あふにしかへば 惜しからなくに」
(命とはなにか、露のようにはかないものをあなたに逢うことと替えられるなら惜しいことはない)
紀友則



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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