別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年2月28日水曜日

花山天皇の女御


984年(永観2年)、花山天皇が即位。


同年・・・

藤原為光の娘・忯子弘徽殿に、

藤原朝光の娘・姚子は麗景殿に、

藤原頼忠の娘・諟子承香殿に入って女御となりました。

為平親王の娘・婉子女王は、984年(永観2年)に宮に入っています。


忯子は寵愛を受けて懐妊しますが、985年( 寛和元年)7月18日に急死。

姚子は寵愛を受けられず、1か月ほどで退出。

諟子は寵愛されていたわけではないが、目には掛けられていたようです。

婉子女王は、はじめ寵愛を受けていたようですが、次第に盛んではなくなってしまったようです。

986年(寛和2年)6月23日、花山天皇が出家すると、婉子女王は藤原実資に嫁ぎました。

実資の最初の妻は源惟正の娘ですが、花山天皇が出家した年の5月8日に亡くなっています。





986年( 寛和2年)6月23日、花山天皇元慶寺で出家(寛和の変)。


📎大鏡が伝える寛和の変~藤原道兼に騙された花山天皇~

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藤原定子の葬送~六波羅蜜寺から鳥辺野~




一条天皇の皇后宮・藤原定子は、1000年(長保2年)12月15日、平惟仲の屋敷で媄子内親王を出産した後、翌16に崩御。

藤原行成の『権記』によると・・・

23日、遺体は六波羅蜜寺に移され、27日に鳥辺野に葬られたのだといいます。

何故、六波羅蜜寺だったのかは分かりませんが、六波羅蜜寺は葬送地・鳥辺野の入口と言われる六道の辻にある寺。

六道の辻に捨てられた死体を供養するために、空也上人が建てた西光寺を始まりとしています。




鳥戸野陵は、定子の陵墓。

『栄花物語』によると、定子は、雪が降る中を黄金づくりの糸毛車(最上格の牛車)に乗せられて埋葬の地に到着。

定子の兄伊周

「誰もみな 消え残るべき 身ならねど ゆき隠れぬる 君ぞ悲しき」

弟の隆家

「白雪の 降りつむ野辺は 跡絶えて いづくをはかと 君をたづねむ」

同じく弟の隆円

「故里に ゆきも帰らで 君ともに 同じ野辺にて やがて消えなむ」

と詠んでいます。




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京都:六道の辻~冥界の入口~




六道の辻は、平安京三大葬送地の一つ鳥辺野の入口。




六道の辻にある西福寺は、空海鳥辺野の入口にあたる地に地蔵堂を建てたことに始まります。



六道の辻で売られている幽霊子育飴には、若い女が死んだあとに墓の中で出産し、生まれた子を育てるために夜な夜な飴を買いに来たという伝説が残されています。



閻魔大王と交流していたという小野篁は、六道珍皇寺にある井戸から冥界へ行って(死の六道)、嵯峨にあった福正寺の井戸から帰ってきたのだといいます(生の六道)。



六波羅蜜寺は、六道の辻に捨てられた死体を供養するために建てられた西光寺を前身としています。




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