別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年2月14日水曜日

藤原忯子~入内から1年も経たずに亡くなった弘徽殿女御~


藤原実資の『小右記』や赤染衛門『栄花物語』によると・・・

花山天皇に入内した藤原忯子は、懐妊しても里下がりを許されず、懐妊5か月にしてやっと里(実家)へ帰ることが認められたのだといいます。

しかし、里に戻った忯子の容体は悪化。

にもかかわらず、花山天皇は忯子に会いたいがために無理に参内させます。

忯子の父為光は、泣きながら花山天皇に訴えて、忯子を里にもどしたのだとか・・・

そして、懐妊7ヶ月後の985年( 寛和元年)7月18日に忯子は亡くなります(17歳)。


📎藤原忯子の懐妊と死~花山天皇は?父藤原為光は?



法性寺

法性寺では、忯子の四十九日法会が営まれました。


法住寺

法住寺は、989年(永祚元年)に藤原為光が建てた寺。

985年(寛和元年)に亡くなった妻と娘の忯子の菩提を弔うために建立したのだと伝えられています。




次回の光る君へ
打毬(だきゅう)



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藤原道長が選んだ白楽天の詩と望月の歌~光る君へ第6話~


望月の歌



「光る君へ」第6話の漢詩の会で藤原道長は白楽天(白居易)の詩を選びました。

「歌詞の酒は十分あるが君をおいて誰と飲もうか

宮中の菊花を手に満たして私は独り君を思う

君を思いながら菊の傍らの立って

一日中君が作った詩を吟じ空しく過ごした」


「尽日吟君詠菊詩」
(一日中君が詠んだ菊の詩を吟じた)

これは、白楽天が親友だった元微之(元稹)を思いやって詠んだ詩らしい。

藤原実資の『小右記』によると・・・

道長「望月の歌」を詠んだ時、実資は返歌を頼まれますが、

「美事な御歌で返歌のしようがありません。

皆でこの歌を詠じてはいかがか」

と申し上げて、出席者一同が望月の歌を数回詠ったのだといいいます。

元微之の菊の詩に感動した白楽天の故事に倣ったのだとか。




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藤原公任の漢詩~光る君へ第6話~


「光る君へ」第6話で藤原公任が詠んだ詩は、漢詩集『本朝麗藻』に収録されたもの。


「一時過境無俗物 莫道醺々漫酔吟」

1005年(寛弘2年)5月に藤原道長邸で行われた詩会で詠んでもの。

「一時過境無俗物」(一時境に過きるに俗物無し)の「境」は道長邸を表しているのだとか。


「聖明治蹟何相致 貞観遺風觸眼看」

1005年(寛弘2年)11月に飛香舍で行われた一条天皇の第一皇子・敦康親王の読書始のときに詠んだもの。


『本朝麗藻』には、一条天皇具平親王藤原道長藤原伊周紫式部の父藤原為時赤染衛門の夫大江匡衡の詩も収録されています。




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