別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年2月10日土曜日

寛和の変の直前に藤原義懐と話した清少納言


986年(寛和2年)6月18日、清少納言は、藤原済時の小白河殿で営まれた法華八講を聴聞します。

『枕草子』には・・・

のちに関白となる藤原道隆藤原義懐が素晴らしかったことや、義懐と清少納言が言葉を交わしたことなどが記されています。


それから5日後の6月23日、花山天皇元慶寺で出家(寛和の変)。

花山天皇のもとで権勢を奮っていた藤原義懐も出家しています。




白河院は、藤原良房の別荘「白河殿」が始まり。

白河殿は摂関家嫡流に継承され、藤原道長も所有。

藤原済時や藤原公任も白河に別業を設け「小白河殿」と呼ばれていたようです。



紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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藤原忯子と女官の墓~花山院菩提寺・十二妃の墓~




花山法皇が隠棲した菩提寺(兵庫県三田市)の麓の地名は「尼寺」(にんじ)。

法皇が菩提寺に隠棲すると・・・

法皇付きの女官11名は、法皇が寵愛していた藤原忯子の位牌を持って訪ねてきたのだといいます。

しかし、菩提寺は女人禁制のため、尼となって麓に住み着いたのだとか。

「尼寺」には、忯子と女官11名の墓があります。




花山法皇は、992年(正暦3年)頃、菩提寺を隠棲の地とし、晩年の十数年間を過ごしたのだといいます。



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清少納言と長谷寺の鐘と法螺貝楼~奈良~




長谷寺は午前6時と正午の二度撞かれ、正午には法螺貝も吹かれます。

そして、夜8時の法螺貝で長谷寺の時報は終わり。

清少納言は『枕草子』に

「師の坊に、男ども、女、童などみなゆきて、つれづれなるに、傍に貝を 俄かに吹き出でたるこそ、いみじう驚かるれ」

と書き記しています。






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2024年2月9日金曜日

伏見稲荷大社と清少納言と源頼朝と鎌倉の初午祭


稲荷神は、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神。


(京都)


全国の稲荷社の総本宮伏見稲荷大社は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に、渡来系豪族の秦伊呂巨(はたいろぐ)が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことにはじまるといいます。


『山城国風土記』によれば・・・

秦伊呂巨は、稲をついて餅をこね矢を射る的を作りました。

ところが矢を射ると餅は白い鳥に姿を変えて飛び去っていったといいます。

そして、白い鳥が舞い降りた所には、稲がたわわに実ったのだとか。

伊呂巨はこれを神がなしたことだと思い社を建てました。

これがお稲荷さんのはじまりとされ、711年(和銅4年)のことだったと伝えられています。


伏見稲荷大社背後の稲荷山は、東山三十六峰の一つに数えられ、伏見稲荷大社の神が宿る神体山。

古くから三ヶ峰とも呼ばれ三つの峰が連なっています。

2月の初午の日には、神が宿る稲荷山への福参りが行われるようです。

一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた清少納言は『枕草子』に、

「決心して稲荷神社に参拝すると、自分は中の社のあたりで苦しくなっているのに、少しも苦しそうもなく先に行く参拝者がいるのは凄いこと・・・」

と記しています。

📎初午に伏見稲荷を参拝した清少納言



(鎌倉)


稲荷心経奉賛文には・・・

そもそも稲荷心経と申す御経は
文字の数わづかに九十四なれど
諸経の華を選み出されたるお経にして
その昔源頼朝日夜これを持誦したる功徳により
程なく世を取りたまへり
かくも霊験ある御経なれば
われら一途に念誦したてまつらば
百八煩悩を解脱して
諸願成就疑ひなきものなり

とあり、源頼朝も稲荷信奉者であったようです。

源頼朝は、配流先の蛭ヶ小島で稲荷神から受けた夢のお告げによって、鎌倉に佐助稲荷神社を建立させたのだと伝えられています。

奉賛文は、稲荷心経本文の前に唱えるとよいとされ、稲荷心経の効力をうたったものです。




2024年の初午の日は2月12日。

佐助稲荷神社初午祭は正午頃からの予定。



鶴岡八幡宮丸山稲荷社でも初午祭が行われます。

丸山稲荷社の初午祭は午後2時頃からの予定。


今日でも稲荷神は「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と崇められ、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として信仰されています。




初午祭

佐助稲荷神社


鶴岡八幡宮






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