別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年11月14日火曜日

礒崎神社~日本武尊を祀る社と紫式部の歌~




礒崎神社は、琵琶湖の東岸の磯の地に鎮座する日本武尊を祀る社。

日本武尊は伊吹山の悪の神を討伐するため出征するが、草薙剣も持たずに出かけたため重傷を負い磯の地で亡くなったのだと伝えられています(諸説ある。)。


「磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思じ出づる 人やたれぞも」

紫式部が磯を詠んだ歌。

越前国から帰京する際に詠んだものと考えられています。












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紫式部


紫式部と越前国

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琵琶湖で紫式部・源氏物語

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2023年11月13日月曜日

松原客館と藤原為時と紫式部~気比の松原~




松原客館は、平安時代前期に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。

気比の松原付近にあったといわれています。


928年(延長6年)に渤海は滅亡しますが、松原客館は渤海滅亡後も、宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設として使用されていたようです。

紫式部の父・藤原為時は、その交渉相手として越前国司に選ばれたといわれています。





平安京の鴻臚館は、渤海使のために建てられた迎賓施設。

松原客館に滞在していた渤海使は、都からの使者に伴われ、深坂峠を越えて塩津浜から舟で琵琶湖を渡り、大津から鴻臚館に入りました。

822年(弘仁13年)に渤海国の国使が豊楽殿打毬を行ったという記録が残されています。

『源氏物語』~桐壺巻~には・・・

桐壺帝が幼い光源氏を鴻臚館に滞在していた高麗人に人相占いさせている様子が描かれている。













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紫式部


紫式部と越前国

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気比神宮~紫式部が下向した越前国の一之宮~




気比神宮は、702年(大宝2年)創建と伝えられる北陸道の総鎮守。

越前国の一宮。

地元では「けいさん」の愛称で親しまれる古社。

紫式部の父・藤原為時が交渉相手となっていたという宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設・松原客館は気比神宮が管理していたそうです。



1945年(昭和20年)の空襲で主要社殿が焼失してしまいますが、大鳥居は被害を免れ、春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つに数えられています(重要文化財)。











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紫式部


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2023年11月12日日曜日

紫式部の歌~塩津浜~




996年(長徳2年)、越前へ下向するため塩津山(深坂峠)を越えて行く紫式部

そのときに詠んだのが・・・

「知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものとは」











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紫式部


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