別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年10月10日火曜日

斎宮邸~伊勢神宮に奉仕した斎王の居所~




斎宮邸は、伊勢神宮に奉仕した斎王の居所。

斎王は、未婚の内親王または女王のことで、賀茂神社の斎王と区別するため斎宮とも呼ばれます。

西京高校グランドの邸宅発掘調査では、「斎宮」「斎雑所」と書かれた土器などが発見され、斎宮邸の一つと判明しています。


紫式部『源氏物語』~賢木の巻~では、光源氏と深い関係にあった六条御息所の娘が伊勢神宮に仕える斎王となっています。


(西京高校前)









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藤原道綱母・源頼光の一条邸




『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母の屋敷(一条邸)は、一条戻橋の東にあったのだという。

子の道綱もここで育った。

のちに源頼光に譲られたが、頼光の娘を娶った道綱は頼光の所有となってからも居住していたのだのだとか。









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2023年10月8日日曜日

高陽院~藤原頼通の邸宅・後鳥羽上皇の院御所~




高陽院は、藤原頼通の邸宅。

四町(250m四方)にも及ぶ寝殿造りの大邸宅だったのだといいます。

四町というと紫式部『源氏物語』に登場する光源氏の邸宅・六条院も四町占める大邸宅でした・・・

鎌倉時代には後鳥羽上皇の院御所となり、承久の乱の際には、ここに兵が集められ 北条義時追討の院宣が発せられたのだといいます。









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2023年10月7日土曜日

摂関家の別邸に建てられた法勝寺





法勝寺は、摂関家の別邸・白河殿に建てられた寺院。

白河殿は、藤原道長・その子頼通も所有し、一条天皇の中宮・藤原彰子が出家後の住まいとしました。

その後、白河殿を譲り受けた白河天皇は法勝寺を創建。

1204年(元久元年)、源実朝が坊門信清の息女・坊門姫を正室とする際、後鳥羽上皇は坊門姫の出発の様子を法勝寺西大路鳥居の桟敷から見物していました。





法勝寺には、高さ約80メートルといわれる八角九重塔が聳えていました。

1208年(承元2年)に焼失してしまいますが、栄西が大勧進となって再建されました。

後醍醐天皇の皇子・護良親王は、梶井門跡(現在の三千院)に入室し、比叡山延暦寺の貫主(天台座主)となって大塔宮と敬称されますが、

大塔とは「法勝寺の九重塔のこと」という説があります。









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光源氏と紫の上~みやこめっせの源氏物語石像~




右大臣の娘・朧月夜との密会が露見してしまい、須磨へ退くこととなった光源氏。

都に残す紫の上と和歌を交わします。

「身はかくてさすらへぬとも君があたり去らぬ鏡のかけは離れじ」
光源氏

「わかれても影だにとまるものならば鏡を見ても慰めてまし」
紫の上










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