1186年(文治2年)8月15日、東大寺再建のため奥州へ向かう途中の西行が鎌倉を訪れます。
『吾妻鏡』によると、源頼朝が鶴岡八幡宮を参拝すると鳥居の辺りを徘徊していたのだとか。
その後、御所に招かれた西行は、一晩に渡って弓馬の故実を語り、翌日、奥州へと旅立っていったのだそうです。
西行は、実戦的な騎射術である流鏑馬を大成させた藤原秀郷の子孫。
流鏑馬は古代から宮廷行事として行われていましたが、秀郷は実戦で勝つための戦闘技術として鍛え上げました。
頼朝は西行から秀郷流流鏑馬の秘訣を学んだということになります。
翌年、頼朝は放生会を催して流鏑馬を奉納していますが、西行の話に感銘を受けて奉納したのだとか。
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鶴岡八幡宮の流鏑馬は頼朝が武家の儀礼・訓練として新しく始めたもの。
宮廷行事としての流鏑馬は、公家風の衣装が用いて行われていましたが、秀郷流を受け継いだ「武士の流鏑馬」では、武士が山野の狩りで着る「狩装束」(かりしょうぞく)で行われました。
現在の鶴岡八幡宮で奉仕される流鏑馬は小笠原流ですが、小笠原流も頼朝によって始められた「武士の流鏑馬」の系譜を引いています。







