光明寺のお十夜は、1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇(かんよゆうそう)が、後土御門天皇の勅命で清涼殿において「引声阿弥陀経」・「引声念仏」による法要を勤修したことで勅許されました。
これが浄土宗寺院での「お十夜」の始まりとなります。
お十夜で念仏や御詠歌を唱えると千年の修行に値するといわれています。
勅願所の額
光明寺の大殿と総門に掲げられている「勅願所」の額は観誉祐崇の書。
光明寺は、祐崇の時に後土御門天皇より「関東総本山」の称号を受け「勅願所」とされています。
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(京都)
十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が唐の清涼山から比叡山に伝えたものといわれ、室町時代になって後花園天皇が京都東山の真如堂に伝えました。
そして、享徳年間(1452年~55年)、伊勢貞国が真如堂に籠もって、10月6日から15日までの10日間にわたって勤行したのが、現在の「十夜法要」のはじまりと伝えられています。
伊勢貞国は室町幕府の政所執事を務めた人物。
戦国時代の幕を開けた北条早雲は外孫です。
※早雲の出自については様々な説があるようですが、近年は伊勢盛定の子・盛時というのが定説となっているようです。
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