1180年(治承4年)12月25日、鎌倉の源頼朝のところに届いたのは、二寸(6㎝ほど)の銀の観音像。
この観音像は、頼朝が三歳のときに京都の清水寺から下されたものでしたが・・・
『吾妻鏡』によると、
1180年(治承4年)8月、源氏再興の挙兵をした頼朝は、石橋山の戦いで大敗。
山中に逃れますが、この時、頼朝は髷に観音像を入れていました。
しかし、平家方に捕まったときに「観音像を本尊としていたのでは源氏の棟梁らしくない」と非難されてしまうと考え、観音像を山中の洞窟に置いて逃げたのだといいます。
それを伊豆山権現の專光坊良暹の弟子僧が見つけ出し、鎌倉に届けたのだとか。
上の画像は、伊豆の国大河ドラマ館に展示されていた「頼朝の髻(もとどり)観音」。
清水寺は西国三十三所の観音霊場。
源義経の母常盤御前も清水観音を信仰していました。
頼朝のもとに届けられた銀の観音像は、のちに持仏堂の本尊となっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆