別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年9月3日土曜日

武蔵国留守所惣検校職と畠山重忠の乱


(深谷市:畠山重忠史跡公園)



武蔵国留守所総検校職は、武蔵国の武士団の統率権・動員権を持った在庁官人のトップ。

秩父重綱が就いて以後、秩父重隆・河越重頼畠山重忠に継承されていきました。


1203年(建仁3年)9月2日、二代将軍源頼家の乳母夫比企能員を滅ぼして幕府の実権を握った北条時政は、9月10日、御家人に対して所領を元のとおり認めるという文書を発行。

10月27日には、和田義盛の奉行により、武蔵国の武士団に対して時政に背くことのないように命を下しています。

さらに、当時の武蔵国の国守は時政の娘婿の平賀朝雅でしたが・・・

武蔵国武士団の統率権は「惣検校職」の畠山重忠にありました。

武蔵国を完全な形で支配下に置きたい時政は・・・

1205年(元久2年)6月22日、謀略によって重忠を滅亡させます(畠山重忠の乱)。

畠山重忠の乱は、時政の後妻牧の方の讒言から始まったともいわれますが、もともとは武蔵国をめぐる時政・平賀朝雅父子と重忠の対立が原因と考えられるようです。





畠山重忠


畠山重忠の乱








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