別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年6月6日月曜日

征夷大将軍~鎌倉殿の13人第二十二話~


第22話では・・・

1190年(建久元年)、頼朝上洛

この上洛で義経逮捕の理由で保持してきた日本国総追捕使・総地頭の地位が改めて頼朝に与えられたようです(参考:守護・地頭の設置)。

1192年(建久3年)、後白河法皇が崩御。

この年頼朝は、関白となった九条兼実の計らいで後鳥羽天皇から征夷大将軍に任命されました。

一方で、曽我兄弟の仇討ちを利用しての謀反計画が・・・


次回は、富士裾野の巻狩り曽我兄弟の仇討ち




東大寺の大仏

1180年(治承4年)、平重衡の南都焼討で焼け落ちた東大寺

再興に奔走したのは俊乗坊重源

後白河法皇の支援のもとで、まず行われたのは大仏の鋳造でした。

宋の工人陳和卿の協力を得て1185年(文治元年)に大仏が完成。

開眼の筆を執ったのは後白河法皇でした。

参考までに・・・

頼朝は大仏の鍍金料として千両の金を寄進。

奥州藤原秀衡は五千両の金を寄進しているようです。


東大寺大仏殿

大仏鋳造の次に行われたのが大仏殿の再建。

頼朝は資材調達に積極的に協力。

1195年(建久6年)の落慶供養には頼朝も参列しています。


法住寺

後白河法皇の院御所法住寺殿は、法住寺を中心に営まれていました。

1183年(寿永2年)の木曽義仲の焼討ちで後白河法皇は長講堂に移ります。

1191年(建久2年)に頼朝が法住寺殿を再建しますが、法皇は翌年3月13日に崩御。


法住寺身代わり不動明王

法住寺の本尊は不動明王。

木曽義仲が法住寺殿を襲撃(法住寺合戦)した際、後白河法皇の身代わりなったと伝えられている尊像。

法住寺合戦では天台座主(延暦寺の貫主)だった明雲が討たれますが、法皇は「不動尊が明雲となって我が身を救ってくれた」と涙をこぼしたのだと伝えられています。


後白河天皇法住寺陵

1192年(建久3年)に後白河法皇が崩御すると、法住寺殿跡に法華堂が建てられて法皇の御陵となりました。

かつては後白河法皇に寵愛された妃・建春門院滋子の法華堂と並んでいたのだといいます。




上洛:権大納言・右近衛大将


征夷大将軍


後白河法皇

東大寺


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