別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年3月16日火曜日

急死した北条義時




『吾妻鏡』によると・・・

1224年(貞應3年)6月12日辰の刻(午前8時頃)、北条義時が倒れます。

ここ数日、調子が悪かったのですが、格別に変わったことはなかったようです・・・

陰陽師が呼ばれて占うと、大事には至らず、戌の刻(午後8時頃)には快復に向かうとのことでした。

念のため、祈祷は行ったようです。

ところが、時とともに危険な状態になり、6月13日寅の刻(午前4時頃)に出家、巳の刻(午前10時頃)に亡くなりました(62歳)。

日ごろから脚気を患っていたところに、暑さによって体調を崩してしまったのが原因とされています。

前日の朝から念仏を唱え続け、最期の時は、鶴岡八幡宮の頼暁を師として、外縛印を結び、念仏を数十遍唱えたのだといいます。


そして、源頼朝法華堂の東の山上が墳墓とされ、6月18日に葬儀が行われています。


6月19日、初七日、導師は頼暁。

6月22日、三浦義村主催の臨時の法事、導師は走湯権現の浄蓮房(源延)

6月26日、二七日、導師は大進僧都観基。

7月4日、三七日、導師は信濃法眼道禅。

7月11日、四七日、退耕行勇

7月16日、五七日、導師は左大臣律師。

7月23日、六七日、導師は退耕行勇

7月30日、七七日、弁僧正定豪。


8月8日、墳墓堂の供養。

導師は走湯権現の浄蓮房(源延)。

墳墓堂は「新法華堂」と称されます。





二代執権北条義時


源頼朝配流の地・北条氏発祥の地


2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人







よりともジャパン.com