別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年11月5日木曜日

増上寺御霊屋~徳川将軍家霊廟~




増上寺は上野の寛永寺とともに徳川将軍家の菩提寺。

増上寺に埋葬されているのは・・・

二代秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の6人の将軍

崇源院(二代秀忠公夫人)、皇女和宮(十四代家茂公夫人)ら5人の正室。

三代家光の側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ5人の側室

三代家光第三子甲府宰相綱重

その他歴代将軍の子女多数。


鋳抜門

鋳抜門は、文昭院殿霊廟(六代将軍徳川家宣)の宝塔前の中門だった。

青銅製で、左右の扉に5個ずつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている




十二代家慶
(石塔)

戒名は慎徳院殿(しんとくいんでん)。

1793年(寛政5年)生まれ。

十一代将軍家斉の子。

1853年(嘉永6年)逝去。


九代家重
(石塔)

戒名は惇信院殿(じゅんしんいんでん)

1711年(正徳元年)生まれ。

八代将軍吉宗の子。

1761年(宝暦11年)逝去。


七代家継
(石塔)

戒名は有章院殿(ゆうしょういんでん)

1709年(宝永6年)生まれ。

六代将軍家宣の子。

3歳で将軍になったが、1716年(正徳6年)に8歳で逝去。

廟は父家宣の廟と並んで造営されていた。


二代秀忠と正室お江の方
(石塔)

秀忠の戒名は台徳院殿(たいとくいんでん)

1579年(天正7年)生まれ。

家康の第三子。

豊臣秀吉から一字を賜わり秀忠と名乗る。

1632年(寛永9年)逝去。

台徳院殿廟奥院に祀られた宝塔は、装飾華麗で当時の芸術の粋をつくしたものだったが木造だったため戦災で焼失している。

お江の方の戒名は崇源院殿(すうげんいんでん)

1573年(天正元年)生まれ。

父は浅井長政、母は織田信秀の娘市(織田信長の妹)。

1626年(寛永3年)逝去。


六代家宣
(青銅)

戒名は文昭院殿(ぶんしょういんでん)

1662年(寛文2年)生まれ。

三代将軍家光の三男綱重の子。

1712年(正徳2年)逝去。


十四代家茂
(石塔)

戒名は昭徳院殿(しょうとくいんでん)
1846年(弘化3年)生まれ。

紀伊徳川家斉順の子。

正室は和宮親子内親王(静寛院)。

1866年(慶長2年)、出征途中の大坂城で逝去。


皇女和宮
(金銅)

1846年(弘化3年)生まれ。

仁孝天皇の第8皇女。

十四代将軍家茂の正室。

家茂の死後、静寛院(せいかんいん)と称し、江戸城無血開城、徳川家存続、夫君追善に力を尽くし、1877年(明治10年)薨去。

明治政府は葬儀を神式で行う予定だったが、「家茂の側に葬って欲しい」という和宮の遺言を尊重して仏式で行われたのだという。


将軍生母側室等

合祀塔には、徳川綱重、家光側室で五代綱吉の生母桂昌院、十一代家斉正室広大院、家宣側室月光院らが埋葬されている。

この宝塔は月光院輝子の墳墓に祀られた宝塔。





増上寺






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