別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年8月21日金曜日

祇園閣が建つ大雲院~銅閣寺?~




1587年(天正15年)、明智光秀の謀叛により、本能寺で最期を遂げた織田信長。

子信忠も二条御所で自刃。

その信忠の菩提を弔うために建てられたのが大雲院(だいうんいん)。

信忠の戒名は「大雲院三品羽林仙巖大禅定門景徳院」。

寺名は信忠の戒名からのものらしい。

山号は龍池山。

本尊は阿弥陀如来。


大雲院は、信忠が討たれた二条御所跡(烏丸御池)に創建されたが、間もなく豊臣秀吉の命により四条に移転。

その後、数度の火災で焼失、明治期に復興されたが、1973年(昭和48年)に現在地に移転。

現在地は、鹿鳴館・帝国ホテル・帝国劇場などを設立した実業家・大倉喜八郎の別荘真葛荘だった場所。


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~祇園閣~

境内の塔は、喜八郎が「金閣銀閣に次ぐ銅閣を」と考えて建てたもので、設計者は建築家・伊東忠太。

祇園祭の山鉾をイメージして建てられた塔は「祇園閣」と名付けられた。




祇園閣の鉾先には鶴。

喜八郎の幼名の鶴吉、号の鶴彦に由来するのだという。

戒名は大成院殿礼本超邁鶴翁大居士。



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~石川五右衛門~

1594年(文禄3年)に捕えられた盗賊・石川五右衛門は、市中を引き回されて大雲院門前に至った際に、住職の貞安に引導を渡されたのだという。

その後、三条河原で一子と共に処刑された。

大雲院には五右衛門の墓があるらしい。

















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