743年(天平15年)、「大仏造顕の詔」を発した聖武天皇。
東大寺の大仏造立にあたっては表面に金を施すため大量の黄金が必要でした。
聖武天皇は、良弁に金の山と信じられていた大和国吉野の金峯山で金の産出を祈願するよう命じます。
すると・・・
良弁の夢に蔵王権現が現われてこう告げました。
「金峯山の黄金は、弥勒菩薩が出現したときに地を覆うために使うので、大仏のためには使えない。
近江国の湖水の南に観音菩薩が現れる場所がある。
そこへ行って祈るがよい」と。
夢のお告げのとおりに石山の地を訪れた良弁は、巨大な岩の上に聖武天皇から預かった聖徳太子の念持仏(金銅如意輪観音像)を祀って祈願すると・・・
程なく、陸奥国で黄金が産出されて祈願が達成されました。
しかし、観音像を移動させようとしても岩の上から離れません。
そこで、観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の始まりなのだといいます。
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比良明神影向岩
石山の地を訪れた良弁は、この石の上で釣りをしていた比良明神に出会い、この山が観音の霊地であることを教えられたのだといいます。
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鎌倉との繋がりを求めて。