即成院は泉涌寺の塔頭。
992年(正暦3年)、恵心僧都が伏見に建てた光明院を始まりとしています。
鳳凰は、平等院の鳳凰堂と向き合う形で置かれているのだとか。
屋島の戦いで源義経に命じられて、平家の軍船に掲げられた扇の的を射落としたことで知られる那須与一。
合戦前、病に倒れた与一は、即成院で療養したのだといいます。
その後も信仰を続けた与一は、即成院で死去したのだと伝えられています。
その頃の即成院は伏見にありました。
阿弥陀如来及び二十五菩薩像は重要文化財。
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鎌倉との繋がりを求めて。