別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年6月3日水曜日

三浦大介義明公墓所を未来へ残したい! ~横須賀:満昌寺~




横須賀の満昌寺にある三浦義明の廟所。


2019年秋の台風で周辺樹木多数が倒れてしまい、廟所周辺が崩れてしまいました。

復旧には膨大な費用がかかるため、クラウドファンディングを通じて支援を募ることとしています。

満昌寺台風被害復旧プロジェクト


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満昌寺は、1194年(建久5年)、源頼朝が三浦義明の追善のために建立した寺。


1180年(治承4年)8月、伊豆国で源頼朝が挙兵すると、義明は一族を石橋山に送ります。

しかし、雨によって増水した酒匂川を渡ることができず、その間に頼朝は石橋山の戦いで大敗を喫してしまいました。

仕方がなく兵を引くのですが、帰路の由比ヶ浜で、当時まだ平家方の大庭景親に従っていた畠山重忠軍に遭遇してしまいます。

三浦軍と畠山軍は、戦うつもりはなかったようですが、杉本城(鎌倉杉本寺)を守っていた和田義茂が、三浦軍が攻められていると勘違いし、畠山軍を攻めたため合戦となってしまったのだとか。

辛うじて畠山軍を退けた三浦軍は衣笠城に辿り着きますが、日を置いて、重忠は衣笠城に攻め込んできました。

敗戦が確実となったとき、義明は子の義澄らに対し、逃れて頼朝に従うことを諭し、自らは城に残り自刃したのだと伝えられています。



 衣笠城址







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 源頼朝挙兵


 歴史めぐり源頼朝


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