鶴岡八幡宮は、源頼義が前九年合戦(前九年の役)の戦勝を京都の石清水八幡宮に祈願して叶えられたことを感謝、1063年(康平6年)、源氏の守り神として、石清水八幡宮の神霊を由比郷鶴岡に勧請したことにはじまります。
源頼義は、1028年(長元元年)に起こった平忠常の乱の平定に際して、相模の豪族・平直方にその武功を認められて、娘婿に迎えられ、鎌倉の屋敷を与えられたのが清和源氏と鎌倉の縁の始まりでした。
※源頼義は清和源氏の一流河内源氏の二代棟梁。
※平直方は北条時政の先祖といわれています。
1180年(治承4年)、鎌倉入りした源頼朝は、由比郷の若宮を現在の地に遷座して、鶴岡若宮と称しました。
1191年(建久2)、鶴岡八幡宮は、火災により焼失しますが、大臣山の中腹に本宮が創建され、現在のような上下両宮の姿になっています。
現在の若宮は江戸時代に徳川秀忠、本宮は徳川家斉によって再建造営されたものです。
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1191年(建久2)、火災で焼失した鶴岡八幡宮を再建した源頼朝は、石清水八幡宮の神霊を迎える儀式を執り行います。
この時、京都より迎えられた楽人・多好方が「宮人曲」を唱えたところ、神感の瑞相があり頼朝はたいそう喜んだと伝えられています。
この日を新暦に換算した毎年12月16日に御鎮座記念祭が執り行われています。
本殿で祭典が行われた後、舞殿北庭に焚かれた篝火の明かりだけのなか、4人の巫女が「宮人曲」に合わせて舞い、神職による人長舞が奉納されます。
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河内源氏発祥の地
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