北条政子像
(安養院)
北条政子は、前大将軍源頼朝の妻。
二代将軍頼家・三代将軍実朝の母。
漢の高祖の呂皇后と同じように天下を治め、神功皇后の生まれ変わりのように我が国の天皇家を護りました(『吾妻鏡』)。
神功皇后と武内宿禰、応神天皇
(天王祭山車人形)
(天王祭山車人形)
神宮皇后は、武運の神・応神天皇の母。
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『吾妻鏡』によると・・・
1225年(嘉禄元年)5月29日、北条政子の具合が悪くなります。
6月3日には、多少快復しますが、6月7日、再び具合が悪くなってしまいます。
6月8日、深夜になって、生きているうちに自分のための仏事をして冥福を祈る逆修を始めています。
6月10日、大江広元死去(享年78歳)。
6月13日、北条義時の一周忌。
6月16日、朝方、一時意識不明になりますが、間もなく息を吹き返しました。
7月8日、危篤状態になり、東の御所へ移されました。
7月11日、午前2時頃死去(享年69歳)。
7月12日、午前4時頃、政子の死が発表され、二階堂行盛をはじめとする多くの男女が政子の死に殉じて出家。
午後8時頃、勝長寿院の御所で火葬されました。
8月15日、鶴岡八幡宮の放生会は延期。
8月27日、四十九日の法要。
施主は竹の御所。
指導僧は弁僧正定豪。
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(壽福寺)
(安養院)
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政子創建の寺
政子ゆかりの寺
頼朝の配流地は政子の誕生地
熱海で育んだ頼朝への愛
頼朝に語った女の心
尼将軍の言葉