公暁は源頼家の子。
父頼家は二代将軍でしたが、1203年(建仁3年)9月、将軍職を廃され、伊豆修禅寺に幽閉された後、翌年7月、北条氏によって暗殺されました(参考:比企氏の乱)。
公暁が5歳のときでした。
1211年(建暦元年)9月、公暁は12歳で鶴岡八幡宮別当の定暁(尊暁)の弟子となり、上洛して園城寺で修行します。
それから6年後・・・
1217年(建保5年)5月11日、鶴岡八幡宮別当の定暁が入寂。
北条政子は園城寺の公暁を呼び戻し、同年6月20日、鎌倉へ帰って来た公暁を鶴岡八幡宮の別当に就任させます。
10月になって別当になって初めて鶴岡八幡宮を神拝した公暁は、その晩から千日間の参籠を始めました。
そして、将軍源実朝を暗殺する1219年(建保7年)正月を迎えます。
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鎌倉との繋がりを求めて!
2022年の大河は北条義時