別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年9月2日日曜日

北条義時の正室姫の前と比企氏の乱

姫の前は、比企朝宗の娘。

源頼朝の御所に勤め、他に並ぶ者のない権勢をもった女官で、しかも、とても美しい容貌で、頼朝のお気に入りだったのだといいます。

そういう素敵な女性でしたので、北条義時が惚れてしまい、一年あまりの間、恋文を送っていたそうですが・・・

全く相手にされなかったようです。

それを見かねた頼朝は・・・

姫の前に「離別することはないという起請文をとって嫁に行くように」と命じ、二人の間を取り持ったのだとか。

こうして、姫の前は1192年(建久3年)9月25日に義時の正室となり、1193年(建久4年)に北条朝時、1198年(建久9年)に北条重時を産みました。

しかし・・・

頼朝亡き後、北条氏と比企氏の関係が悪化していきます。

そして、1203年(建仁3年)9月2日、北条時政政子義時によって姫の前の実家の比企氏が滅ぼされてしまいます(比企氏の乱)。

『吾妻鏡』では、比企氏の乱後の姫の前が動向は不明ですが、

『明月記』には、「源具親の子は北条朝時の同母弟」と記されていることから、姫の前は乱後に義時と離別し、京都で源具親と再婚したものと考えられるようです。

具親との間に産んだ子は輔通と輔時。

輔時はのちに朝時の猶子となっているようです。

1207年(承元元年)3月30日死去。







比企氏の乱

比企尼


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