源頼朝には、夜叉御前という妹がいたようです。
母は、美濃国青墓の長者大炊兼遠の娘延寿。
1150年(久安6年)生まれ。
1159年(平治元年)12月の平治の乱で、父の源義朝が平清盛に敗れて翌年正月に長田忠致に謀殺され、間もなく兄の頼朝も平氏に捕らえられると、杭瀬川に身を投げたのだといいます。
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『平治物語』によると・・・
兄の頼朝が捕らえられて六波羅へ連行されたことを聞いた夜叉御前は、
「わたしも源義朝の子。
女子ではあっても命が助かる事はないでしょう。
一人ずつ死ぬのであれば、せめて頼朝殿と同じ道を歩きたい」
と言って悲しんでいたので、母の延寿が慰めていたのですが・・・
2月11日夜、青墓の宿所を出て、はるか離れた杭瀬川に身を投げて死んでしまいました。
十一歳でした。
悲しんだ母の延寿は、娘と同じ川に身を投じようと考えますが、大炊兼遠に取りなされたのだそうです。
その後、尼となって、ひたすら義朝と夜叉御前の菩提を弔ったいたのだといいます。
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