源頼朝は、挙兵前の1180年(治承4年)7月5日、伊豆山権現の文陽房覚淵を北条館に呼び出しています。
頼朝は、挙兵前に法華経を千回読むつもりでいたようですが、それを達成することが難しくなりました。
そこで、「たとえば八百回読んだとしたら功徳をつむことはできるのか?」
と覚淵に訪ねたといいます。
すると覚淵は「八百回でもご利益はあるでしょう」と答えたといいます。
(熱海市)
伊豆山神社は「伊豆山権現」・「走湯権現」とも呼ばれ、源頼朝や北条政子が崇敬した神社。
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8月17日、頼朝が挙兵。
まずは、伊豆国の目代山木兼隆の館を攻めます。
兼隆を討ち取ったのは、佐々木盛綱と覚淵の兄弟加藤景廉でした。
源氏再興の挙兵を果たした頼朝は、8月20日、相模国へと軍を進めます。
その時、北条政子と大姫を伊豆山権現に匿ったのが覚淵でした。
8月24日、頼朝が石橋山の戦いに敗れると、覚淵は二人を秋戸郷に逃しました。
(熱海市)
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(熱海市)
伊豆山権現の別当寺として栄えた般若院は、覚淵が創建した密厳院を前身としているといいます。
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