1180年(治承4年)6月19日、伊豆の源頼朝のところに京都の三善康信からの使者が到着しました。
頼朝は、人のいない静かな場所に使者を通して対面しました。
使者は康信の弟・康清。
康清は頼朝に次のように申し上げました。
「5月26日に以仁王を討ち取った平清盛は、以仁王の「平家打倒の令旨」を受け取った源氏を全て追討するよう命令を出しました。
特に、頼朝様は清和源氏の正統ですので危ない状況です。
早く奥州の方へ逃れられた方がよろしいでしょう・・・」
(伊豆の国市)
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三善康信は公家。
母が頼朝の乳母の妹だった縁から、頼朝が伊豆に流されてから月に三度、京都の様子を知らせていたそうです。
頼朝は、康信からのこの知らせで挙兵することを決意したのだとか・・・
後に鎌倉幕府を開いた頼朝は、康信を問注所の執事に任命しています。
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