古くからの言い伝えでは、人間の体の中には3種類の悪い虫(三尸)が棲んでいて、庚申の日には、寝ている間にその者の悪事を天帝に報告に行くのだそうです。
ならば・・・ということで、「庚申の日の夜は眠らない」という風習が生まれます。
庚申の日に徹夜することを「守庚申」と言ったそうです。
平安貴族は、徹夜で詩歌や管弦の遊びを催していたのだとか。
『吾妻鏡』にも源実朝が庚申を守るための和歌会を催した記事や、大雨で洪水となったにもかかわらず御所で和歌会を催している記事などが載せられています。
やがて「守庚申」は「庚申待」と呼ばれるようになって庶民にも広まり、「庚申講」が組織されるようになります。
(鎌倉:八雲神社)
室町時代になると庚申講を3年18回続けた記念に庚申塔が建立されるようになります。
上の写真の右の石塔には「青面金剛」(しょうめんこんごう)と彫られていますが、これは仏教における庚申の本尊が青面金剛とされていることによるようです。
※神道では猿田彦神が彫られることがあります。
室町時代後期になってくると、庚申信仰は山王信仰とも結びつき、庚申塔に猿が彫られるようになります。
上の写真の真ん中の石塔には三匹の猿「見ざる 聞かざる 言わざる」が彫られていますが、これには「三尸に悪事を報告されないように」という願いがあるのだとか・・・。
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(京都)
八坂庚申堂は、960年(天徳4年)創建で日本最古の庚申堂と伝えられています。
本尊は青面金剛。
「青面金剛は三尸の虫を食べてくれる」
そのため、青面金剛をお詣りする風習ができあがったのだといいます。
~庚申の日のこんにゃく焚き~
八坂庚申堂では、庚申の日に「こんにゃく焚き」が行われるそうです。
開祖の浄蔵貴所が庚申尊の霊示を受け、人々の病をこんにゃくで治したことに由来するのだといいます。
振る舞われる三切れのこんにゃくを北に向いて庚申尊を念じながら無言で食べると、諸病諸厄を免れることができるのだとか。
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(大津)
山王信仰は日吉大社で生まれた信仰。
日吉大社では猿を神の使いとしています。
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鎌倉との繋がりを求めて・・・