現在の鎌倉山ノ内から横浜市栄区・戸塚区にかけては、「山内荘」といわれる荘園で、1180年(治承4年)10月に源頼朝が鎌倉入りした時は、山内首藤経俊の所領でした。
しかし、経俊は、頼朝が挙兵したときに平家側についたため、10月23日、山内荘を没収され、身柄は土肥実平に預けられます。
このとき、山内荘の支配も実平に預けられました。
📎母の哀訴で許された山内経俊
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明月院は、山内経俊が平治の乱で死んだ父俊道の菩提を弔うために建てた「明月庵」を起源としているといいます。
境内にある「明月院やぐら」は、上杉憲方の墓といわれていますが、山内経俊が造った「やぐら」であるともいわれています。
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~土肥から北条のものに。~
1213年(建保元年)5月、和田義盛が北条義時に滅ぼされます(和田合戦)。
このとき、山内荘は、土肥実平の孫惟平が地頭職を務めていましたが、惟平は和田義盛に味方したため処刑されてしまいます。
山内荘は北条義時に預けられました。
以後、山内荘は北条得宗家の所領として管理され、北条時頼以降、建長寺をはじめとする禅刹が建立されていきます。
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建長寺は、1253年(建長5年)、北条時頼によって創建された臨済宗建長寺派の大本山。
鎌倉五山第一位。
鎌倉への玄関口巨福呂坂の入口に建てられ、日本初の「禅専門道場」として栄えました。
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1256年(康元元年)、北条時頼は明月谷に最明寺を建てます。
時頼は最明寺で隠居生活を送り、1263年(弘長3年)11月22日、最明寺で没っしています。
時頼の死後、最明寺は廃寺となりますが、子の北条時宗が禅興寺として再興しました。
禅興寺の支院の一つが「紫陽花寺」として知られる明月院です。
明月院には、北条時頼廟と時頼の墓とされる宝篋印塔があります。
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浄智寺は、北条時頼の三男宗政の菩提を弔うために建立された鎌倉五山第四位の寺。
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円覚寺は、1282年(弘安5年)、元寇による戦死者を弔うために北条時宗が創建。
臨済宗円覚寺派の大本山。
鎌倉五山第二位。
塔頭の佛日庵には、時宗・貞時・高時が祀られています。
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東慶寺は、1285年(弘安8年)北条時宗の妻・覚山尼が開いた寺。
かつては、「駆け込み寺」とも「縁切り寺」とも呼ばれる女性を救済するための尼寺でした。
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山ノ内から少し離れた大船には、建長寺の根本といわれる常楽寺があります。
1237年(嘉禎3年)、北条泰時が建てた粟船御堂を前身としています。
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