別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年5月24日日曜日

北条時政の江の島龍神伝説~北条氏は龍神に滅ぼされたのか?~


江島神社紋
江島神社の神紋(社紋)



~北条時政の龍神伝説~

『太平記』によると・・・

北条時政は、幕府草創の始めに江ノ島へ参籠して子孫繁栄を祈ります。

祈ること三七日(21日)、

満願の夜、

赤い袴に裏が青い衣を着た美女(弁財天)が忽然と時政の前に現れます。

美女(弁財天)は時政に・・・

「お前の前世は箱根法師である。

六十六部の法華経を書写して、六十六箇国の霊地に奉納した功徳で、この世に生まれ変わった。

子孫は永く日本の主となって繁栄するであろう。

ただし、正しい行いをしなければ七代以上は続かない。

私の言うことに不審があるなら、国々の霊所を見てみよ」

と告げたそうです。

その後、美女(弁財天)は二十丈(約60m)の大蛇(龍)となって海中へと姿を消しますが、その折、大きな鱗を3つ落としていきました。

時政は「所願成就した」と喜び、その3つの鱗を北条の旗の紋としたということです(ミツウロコ)。

そして、美女(弁財天)のいうとおりに国々の霊所へ人を遣わします。

すると、奉納した法華経の筒の上に「大法師時政」と書かれていたのだとか。


竜宮
龍宮(わだつみのみや)

江ノ島は古来より、龍神信仰弁財天信仰とが習合した島です。

龍宮は、岩屋洞窟の真上に鎮座されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~北条氏は何代で滅んだのか・・・?~

さて・・・

よく北条氏九代といわれます。

時政義時泰時・時氏・経時時頼時宗貞時高時をいうのが一般的です。

時政が江ノ島弁財天に告げられたのは、「北条氏の世は、正しい行いをしなければ七代以上は続かない」ということでした。

北条氏の滅亡(鎌倉幕府の滅亡)は、九代目の高時のときです。

『太平記』によれば、高時は「危機感がなく、田楽にうつつをぬかし、闘犬に興じている」と記しています。

また、「七代が過ぎ九代目になっているので、そろそろ滅亡の時がきた」と記されているようです。


ただ、不思議な事実もあります。

四代目の時氏は、父泰時より先に死んでいます、執権にもなっていません。

継いだのは時氏の子経時でした。

時氏を除くと八代になります。

そして、経時時頼は兄弟なので、二人で一代と数えると、北条氏は七代ということになります。

こういう計算だと・・・

「正しい行いをしなければ七代以上は続かない」という江ノ島弁財天のお告げは、「ピッタリ当たった」ということになります。



(岩屋)


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~龍神に滅ぼされたのだろうか・・・?~

北条氏滅亡の一代前の貞時江ノ島に参籠しています。

江ノ島弁財天の加護によって、円覚寺の国宝「洪鐘」が鋳造されたといわれています。

この時には、まだ龍神の怒りには触れていなかったということなのでしょう。

1333年(元弘3年)、新田義貞が鎌倉を攻めます。

この時義貞は、「龍神に祈願して稲村ヶ崎を突破した」と伝えられています。

北条時政は、子孫繁栄のため江ノ島に参籠し龍神から三つの鱗を得ますが、その子孫は行いが悪かったため、龍神に祈った義貞によって滅ぼされたということなのでしょうか・・・。


稲村ヶ崎
新田義貞の龍神伝説が残る稲村ヶ崎


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~ミツウロコいろいろ~

円覚寺佛日庵

円覚寺

東勝寺跡の平瓦

北条氏過所船旗

建長寺庫裡

円覚寺正続院

宝戒寺







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江の島


初代執権北条時政


鎌倉手帳


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