江島神社の神紋(社紋)
~北条時政の龍神伝説~
『太平記』によると・・・
北条時政は、幕府草創の始めに江ノ島へ参籠して子孫繁栄を祈ります。
祈ること三七日(21日)、
満願の夜、
赤い袴に裏が青い衣を着た美女(弁財天)が忽然と時政の前に現れます。
美女(弁財天)は時政に・・・
「お前の前世は箱根法師である。
六十六部の法華経を書写して、六十六箇国の霊地に奉納した功徳で、この世に生まれ変わった。
子孫は永く日本の主となって繁栄するであろう。
ただし、正しい行いをしなければ七代以上は続かない。
私の言うことに不審があるなら、国々の霊所を見てみよ」
と告げたそうです。
その後、美女(弁財天)は二十丈(約60m)の大蛇(龍)となって海中へと姿を消しますが、その折、大きな鱗を3つ落としていきました。
時政は「所願成就した」と喜び、その3つの鱗を北条の旗の紋としたということです(ミツウロコ)。
そして、美女(弁財天)のいうとおりに国々の霊所へ人を遣わします。
すると、奉納した法華経の筒の上に「大法師時政」と書かれていたのだとか。
龍宮(わだつみのみや)
江ノ島は古来より、龍神信仰と弁財天信仰とが習合した島です。
龍宮は、岩屋洞窟の真上に鎮座されています。
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~北条氏は何代で滅んだのか・・・?~
さて・・・
よく北条氏九代といわれます。
時政・義時・泰時・時氏・経時・時頼・時宗・貞時・高時をいうのが一般的です。
時政が江ノ島弁財天に告げられたのは、「北条氏の世は、正しい行いをしなければ七代以上は続かない」ということでした。
北条氏の滅亡(鎌倉幕府の滅亡)は、九代目の高時のときです。
『太平記』によれば、高時は「危機感がなく、田楽にうつつをぬかし、闘犬に興じている」と記しています。
また、「七代が過ぎ九代目になっているので、そろそろ滅亡の時がきた」と記されているようです。
ただ、不思議な事実もあります。
四代目の時氏は、父泰時より先に死んでいます、執権にもなっていません。
こういう計算だと・・・
「正しい行いをしなければ七代以上は続かない」という江ノ島弁財天のお告げは、「ピッタリ当たった」ということになります。
(岩屋)
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~龍神に滅ぼされたのだろうか・・・?~
北条氏滅亡の一代前の貞時も江ノ島に参籠しています。
江ノ島弁財天の加護によって、円覚寺の国宝「洪鐘」が鋳造されたといわれています。
この時には、まだ龍神の怒りには触れていなかったということなのでしょう。
1333年(元弘3年)、新田義貞が鎌倉を攻めます。
この時義貞は、「龍神に祈願して稲村ヶ崎を突破した」と伝えられています。
北条時政は、子孫繁栄のため江ノ島に参籠し龍神から三つの鱗を得ますが、その子孫は行いが悪かったため、龍神に祈った義貞によって滅ぼされたということなのでしょうか・・・。
新田義貞の龍神伝説が残る稲村ヶ崎
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~ミツウロコいろいろ~
円覚寺佛日庵
円覚寺
東勝寺跡の平瓦
北条氏過所船旗
建長寺庫裡
円覚寺正続院
宝戒寺
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