そして、その途中に鶴岡八幡宮を参詣しています。
鶴岡文庫の模型 秀吉は、1591年(天正19年)、「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)を作成させ、 徳川家康に修理を命じています。 |
鶴岡文庫に飾られている模型は、 秀吉の「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」をもとに作られています。 |
下宮は、回廊で囲まれていました。 |
下宮の東側には、経蔵、千体堂、御本地堂、鐘楼が配置され、 西側には、五大堂、北斗堂が配置されています。 |
鶴岡八幡宮修営目論見絵図 豊臣秀吉が描かせた絵図です。 1591年(天正19年)5月14日、 秀吉の奉行、増田長盛、山中長俊、片桐直倫が作成しました。 この絵図に描かれている配置が、 北条氏綱の天文再興時の鶴岡八幡宮の配置だったと考えられています。 |
源頼朝によって設けられた供僧二十五坊は、室町時代には七坊にまで減少していましたが、徳川家康が鶴岡八幡宮の修理をはじめると、供僧坊も五院が復興されて十二院となっています。