別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年1月28日金曜日

護摩焚き供養~明王院の初不動~

明王院は、四代将軍藤原頼経が創建した寺です。

1231年(寛喜3年)に発願、翌貞永元年に寺地が定められ、1235年(嘉禎元年)に寛喜寺として落慶し、開山に定豪が迎えられたといいます。

寺号は発願時の年号(寛喜)からのものといわれています。

明王院背後の山にある「初め弁天」は、建設の際に清めに祀られたものだと伝えられています。

鎌倉時代には、四箇重職といって、鶴岡八幡宮勝長寿院永福寺と並ぶ別当が置かれた格式のある寺でした。




明王院は、祈祷を使命とされた密教寺院で、中世には祈祷所として栄えました。

その後、庶民にもその信仰が移り、現在では、1月と9月に例祭が行われるようになったといいます。

「護摩焚き供養」では、大音声の祈祷の読経が行われます。

「真言密教」による「護摩焚き」は、煩悩・妄想を焼き滅ぼすという意味があるそうです。

「密教」というのは「秘密仏教」の略ともいわれていますが、現在でもその作法を明かさない宗派もあるようです。

したがって、写真などは撮らせないのが定法となっています。



~鎌倉幕府将軍の最後の寺院建立~

三代将軍源実朝が暗殺されると、鎌倉幕府は、実朝に嫡子がいなかったことから、源頼朝の遠縁にあたる藤原頼経を将軍に迎えます(摂家将軍)。

頼経は、幕府の鬼門除けとして明王院を創建しています。

鎌倉幕府の将軍による寺院の創建は、明王院の創建が最後となりました。



初不動
明王院
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