別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
2026年1月21日水曜日
2026年1月20日火曜日
頼朝桜と竹あかり~鋸南町:頼朝桜まつり2026~
鋸南町の河津桜は、源頼朝の上陸地に咲く桜のため「頼朝桜」と呼ばれています。
毎年、見ごろの時期になると、佐久間ダムの「お花見広場」(水仙の小径)では、竹灯籠のライトアップ「頼朝桜と竹あかり」が開催されています。
【点灯期間】
2月7日(土)~3月8日(日)
17:30~20:00
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(竜島海岸)
1180年(治承4年)8月、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝でしたが・・・
石橋山の戦いで大敗。
真鶴から船で安房国平北群猟島へ渡りました。
現在の鋸南町竜島辺りと考えられています。
頼朝は安房国で再挙して、10月7日、鎌倉入りを果たします。
頼朝桜MAP
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
船出の地・真鶴では
3月22日
2026年1月19日月曜日
馬に乗って富士山を飛んだ聖徳太子~1月22日は鎌倉宝戒寺の太子講~
伝説によると・・・
598年(推古天皇6年)、聖徳太子のもとに甲斐国から数百頭の馬が献上されました。
その中から太子は、足先だけが白い黒駒を「これぞ神馬」と見出します。
舎人の調子麿(ちょうしまろ)が世話をしていましたが、ある日、太子が黒駒に試乗すると、調子麿とともに空高く飛び上がります。
そして、太子と調使麿を連れて東国へと向かい、富士山を越えて信濃国まで至り、三日後に飛鳥の地に帰ってきたのだとか。
東京国立博物館所蔵の国宝「聖徳太子絵伝」には、雲に乗った馬で富士山を越える太子の姿が描かれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
宝戒寺の太子堂には、聖徳太子の二歳尊像が安置されています。
(聖徳皇太子大祭)
1月22日は太子講。
鎌倉周辺の大工・鳶・左官・板金工・植木職などが集まり、護摩が焚かれ、読経のあと、木遣唄が奉納されます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年1月18日日曜日
東慶寺の涅槃図お絵解き 2026年2月15日
鬼は頭に角を生やして虎のパンツをはいている!~鬼と節分と豆まき~
鬼とは・・・
頭に角が生やし、虎の皮のパンツをはいた(虎のふんどしを締めた)怪物。
何故、角があって虎のパンツをはいているのか?
鬼が出入りする方角を鬼門と呼びます。
鬼門は、丑寅(うしとら)の方角(北東)。
だから、牛の角を生やし、虎のパンツをはいた姿なのだとか。
♪おにのパンツはいいパンツ
つよいぞつよいぞ♪
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
京都の貴船神社は「豆まき発祥の地」といわれます。
伝説によると・・・
中将定平という貴族は、鬼国の大王の娘に恋をし結ばれますが、それを知った大王は激怒。
節分の夜、大王は二人を襲いますが、定平は鞍馬の毘沙門天の霊言で豆を炒り、それを鬼軍に打ちつけて退散させます。
その後、2人は幸せに暮らし、やがて姫は貴船の大明神に、中将は客神となって、人々の恋の守護神となったのだとか。
貴船明神と鞍馬寺の毘沙門天は平安京の鬼門(丑寅)の守護神。
鞍馬寺は、鑑禎(がんてい)が毘沙門天を祀ったことにはじまる寺院。
鑑禎は鞍馬山で鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられたのだとか・・・
参考までに、貴船明神が降臨したのが丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻。
鑑禎が毘沙門天に助けられたのは寅の月、寅の日、寅の刻。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年1月17日土曜日
源義朝が奉納した榎観音~浅草寺の初観音~
平安時代後期の1079年(承暦3年)、浅草寺が炎上した折、本尊は自ら榎の梢に避難したという故事が伝えられていますが・・・
後にその霊験を知った源義朝は、その榎で彫刻させた観音像を浅草寺に奉納したのだとか。
それが木造観音菩薩立像。
義朝の伝説から「榎観音」と呼ばれ、毎年1月12日から18日までの年頭法要「温座秘法陀羅尼会」(おんざひほうだらにえ)の本尊とされています。
「温座秘法陀羅尼会」は、7日間にわたって昼夜を問わず経を読み修法に励む儀式。
僧が次々に交代して経を読むので座が冷めることがないので温座と呼ばれています。
最終日の18日は初観音。
午後5時頃からの結願法要が終わると、松明を持った2人の鬼が現れる「亡者送り」と呼ばれる行事が行われます。
鬼が境内を駆けめぐって災厄を浄化し、最後に銭塚地蔵堂脇の供物が投入された穴に松明を投入します。
鬼が撒いた松明の燃えかすは、火除け・厄除け・疫病除けの縁起物とされ、参拝者が持ち帰ることができます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
登録:
投稿 (Atom)

































