源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2023年3月9日木曜日
見させない、聞かせない、言わせない~日光東照宮の三猿~
悪事を「見ない、聞かない、話さない!」ということで知られる三猿。
ただ、
日光東照宮
の神厩舎の三猿には、さらに深い意味が・・・
神厩舎の猿の彫刻は、八枚あって人生を表しているのだそうです。
その2枚目が三猿。
まだ幼い頃の様子を表したもの。
幼い子には・・・
悪事を「見させない、聞かせない、言わせない」
これには、子どもたちに素直に育って欲しいという願いが込められているとともに、子どもたちには良い影響を与えるようにという大人へのメッセージが込められているのだとか。
日光東照宮
源頼朝も祀られている!
源頼朝の御所の桜が満開になった日~献詠披講式~
1184年(寿永3年)4月4日、
源頼朝
の
御所
の桜が満開になりました。
それはもう美しい風景です。
頼朝は、一条能保を誘って一日中花見の宴会を催しました。
一条能保は、頼朝の姉妹
坊門姫
の夫です。
平時家もご相伴に預かったそうです。
平時家は、「平家にあらずんば人にあらず」と発言したという平時忠の子。
平家でありながら頼朝に味方していました。
花見では、音楽を奏したり、歌を詠む催しも行われたそうです(管弦詠歌)。
献詠披講式
鶴岡八幡宮
で行われる
献詠披講式
は、
源頼朝
が「管弦詠歌の儀」を行ったという故事にちなんで始められました。
西行の歌碑
(中尊寺)
和歌に興味を持っていた
源頼朝
は、1186年(文治2年)8月15日、
東大寺
再建の勧進のため、
奥州
へ向かう途中の西行を御所に招き、歌道と
弓馬
について尋ねています。
鎌倉国宝館前の歌碑
山はさけ
海はあせなむ
世なりとも
君にふた心
わがあらめやも
三代将軍となった
源実朝
は、和歌の道に精進し、家集
『金槐和歌集』
を編纂しました。
鶴岡八幡宮
の境内には、
源実朝
の歌碑があります。
披講(曲節をつけて詠み上げる)される和歌は毎年、実朝の一首と公募によるもの。
2023年の
献詠披講式
は3月24日(金)
13:00~
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
鎌倉検定1級の問題:結城合戦絵詞
(問)
何を描いた絵か。
1 中先代の乱
2 永享の乱
3 上杉禅秀の乱
4 享徳の乱
「結城合戦絵詞」は、1438年(永享18年)の
永享の乱
をテーマに描かれたもの。
永享の乱は、
鎌倉公方
・足利持氏が京都の将軍・足利義教に対して起こした反乱。
しかし、今川範忠との戦いに敗れた持氏は、
称名寺
で出家し、翌年、
永安寺
で自害。
嫡男の義久も
報国寺
で自害。
次男の春王と三男の安王は下野国の結城氏朝を頼りますが、1440年(永享12年)に起こった結城合戦に担ぎ出され捕らえられます。
そして、京都に護送される途中の
関ヶ原
で斬首されました。
足利持氏の供養塔
(別願寺)
報国寺のやぐら
このやぐらの中に、
報国寺
の開基の足利家時と、
永享の乱
で自刃した足利義久の墓があるのだといいます。
春王・安王の墓
(岐阜県関ヶ原)
春王と安王の墓は、
徳川家康
と石田三成の天下分け目の
関ヶ原の戦い
で池田輝政が陣を敷いた地にあります。
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2023年3月8日水曜日
2023小田原かまぼこ桜まつり
小田原城址公園二の丸広場で3年ぶりの「小田原かまぼこ桜まつり」が開催されます。
小田原城址公園
長興山の枝垂れ桜
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023北本さくらまつり~源範頼ゆかりの蒲ザクラ~
埼玉県北本市は、謀反の罪で伊豆
修禅寺
に幽閉された
源範頼
が落ち延びた地といわれています。
石戸蒲ザクラ
東光寺にある
石戸蒲ザクラ
は、範頼の杖が根付いたものといわれ、国の天然記念物に指定されている古木。
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