別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年3月8日水曜日

2023金王八幡宮の金王桜まつり~源頼朝が鎌倉から贈った桜~




東京渋谷にある金王八幡宮は、源義朝に仕えた金王丸の名がつけられた神社。

金王丸は、源義経を襲撃した土佐坊昌俊と同一人物ともいわれます。



そして、社殿前に植えられている金王桜は、源頼朝が鎌倉の亀ヶ谷館(壽福寺)から移植させたという桜で八重と一重が混生しています。

鎌倉の材木座原産という桐ヶ谷と同じオオシマザクラの突然変異種なのかもしれません。





鎌倉の桜








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歴史めぐり源頼朝


源義経

土佐坊昌俊の源義経襲撃


鎌倉殿の13人


特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


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謎の歩き巫女・望月千代女~「鎌倉殿の13人」から「どうする家康」~




「どうする家康」で、巫女的な感じで三河一向一揆の場面に登場していたミステリアスな女性。

ドラマ中の武田信玄の言葉によると望月千代。

おそらく、信濃国望月城主・望月盛時の妻・望月千代女(もちづき ちよじょ)のことなのでしょう。



望月氏は、信濃国佐久郡望月地方を本貫地とした武家。

千代女の父・望月盛時は、木曽義仲に仕えた望月重隆の子孫。

1180年(治承4年)、義仲は、伊豆国の源頼朝や甲斐国の武田信義と同じく、平家打倒の令旨を受け取り挙兵をした信濃国の源氏。

1183年(寿永2年)、義仲は頼朝と対立しますが、和睦して嫡男義高を頼朝に差し出します。

重隆は義高に随行して鎌倉に入りました。

義高亡き後は頼朝に仕えて弓馬四天王の一人に数えられています。

1193年(建久4年)8月16日の鶴岡八幡宮放生会流鏑馬で射手を務めました。



武田流・流鏑馬


小笠原流・流鏑馬


頼朝は弓矢の達人だった・・・



武田信玄







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武田流流鏑馬

小笠原流流鏑馬


江の島流鏑馬


徳川家康



鎌倉殿の13人


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


歴史めぐり源頼朝


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2023年3月7日火曜日

第3回江の島流鏑馬~甲斐源氏相伝の弓馬礼法:3/11開催~




3月11日、江の島の片瀬東浜海岸では、第3回江の島流鏑馬が開催されます。

奉仕されるのは武田流流鏑馬




弓馬の礼は、896年(寛平8年)、宇多天皇に命じられた源能有が制定。

能有は、これを貞純親王に伝えます。

そして、貞純親王の子で清和源氏の始祖六孫王経基に伝承され、清和源氏が相伝するようになったといわれています。

経基→満仲→頼信→頼義→義家と相伝された弓馬の技術は、義家の弟義光によって甲斐の武田家・小笠原家に伝えられました。


武田流流鏑馬は、甲斐源氏五代当主・武田信光を祖とする安芸武田家に伝えられた弓馬術。




石和八幡宮は、武田信光が本拠とした笛吹市に鎮座。

鶴岡八幡宮が勧請された社で、弓馬術の聖地として信仰されました。




今年の武者行列は、徳川家康徳川四天王



江の島流鏑馬


武田流流鏑馬

小笠原流流鏑馬







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鎌倉殿の13人


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

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歴史めぐり源頼朝


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東照社から東照宮にしたのは今川氏真の孫でした。





1616年(元和2年)4月17日、駿府城で死去した徳川家康

翌年、「東照大権現」の神号が授けられ、久能山や日光山に家康を祀る「東照社」が建立されましたが・・・

東照社の宮号宣下があったのは、1645年(正保2年)。

これによって「東照社」は「東照宮」と呼ばれるようになります。

宮号宣下の交渉にあったのは高家今川家の祖・今川直房。

直房は、今川氏真の嫡男・範以の子。




久能山東照宮は、徳川家康を祀る東照宮の創祀。



死去から1年後、家康の遺骸は日光山に改葬され、日光東照宮が創建されました。



徳川家康


東照宮







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武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い

三方ヶ原の戦い


長篠の戦い

甲州征伐・天目山の戦い

本能寺の変

伊賀越え

天正壬午の乱


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