源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
大河ドラマゆかりの史跡・寺社の情報も。
別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
okadoのブログは、
『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
2023年2月2日木曜日
小田原:大久寺~大久保家の菩提寺~
1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐後、
徳川家康
は関東に移封されます。
小田原城
には、家康の家臣で遠江国の
二俣城
の城主だった大久保忠世が入城。
大久寺
は、忠世が城下に創建した大久保家の菩提寺。
大久保一族の墓所
大久寺
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年2月1日水曜日
武田信玄が築いた久能城の石垣~久能山東照宮~
久能城の石垣
久能山東照宮
がある久能山には、推古天皇の時代に建てられた久能寺がありました。
源頼朝
は所領を寄進し、
源義経
は「薄墨」と呼ばれる笛を奉納したと伝えられています。
戦国期になると久能山には
武田信玄
によって久能城が築かれます。
信玄が駿河侵攻を開始した1568年(永禄11年)の築城と考えられ、この時、久能寺はへ移転されています。
1582年(天正10年)に武田氏が滅びると、久能城は徳川の城となり、
家康
が亡くなると城は廃されて東照宮が創建されました。
久能山東照宮
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月31日火曜日
一族が家康に反旗を翻す中、武功を挙げた本多忠勝~三河一向一揆~
1562年(永禄5年)、
清州城
で織田信長と同盟を結んだ松平元康(
徳川家康
)。
翌年、家康と名を改め、三河統一を目指しますが、この年に起こったのが家康の三大危機の一つとされる
三河一向一揆
。
一向宗門徒が蜂起した事件ですが、本多正信らの本多一族が反旗を翻す中、
本多忠勝
は家康方で戦い武功を挙げています。
本多忠勝
は、
武田信玄
の近習・小杉左近に「家康に過ぎたるものが2つあり、唐の頭に本多平八」と詠まれた武将。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月30日月曜日
武田信玄訓言
武田信玄公訓言
(恵林寺庫裡前の碑)
およそ軍勝五分を以って上と為し、七分を中となし、十分を以って下と為す
その故は、五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りをするが故
たとえ戦に十分の勝を得るとも、驕りを生ずれば次には必ず敗るるものなり
すべて戦に限らず世の中のことこの心がけ肝要なり
武田信玄像
(甲府駅)
武田信玄
は、
新羅三郎義光
を祖とする甲斐源氏。
武田氏は、
源頼朝
や
木曽義仲
とともに平家打倒の挙兵をした
武田信義
を祖としています。
本拠は、甲府の
躑躅ヶ崎館
。
信濃、上野、駿河に侵攻して領国化し、1572年(元亀3年)には、遠江に侵攻して三方ヶ原の戦いで徳川家康を破って三河に進軍しますが、翌年、野田城を包囲中の陣中で病に倒れ、4月12日、甲府へ帰る途中の信濃国伊那谷(いなだに)で亡くなりました(53歳)。
恵林寺
(甲州市)
菩提寺は甲州市にある
恵林寺
。
甲斐善光寺
(甲府市)
甲斐善光寺
は、
武田信玄
が
上杉謙信
との
川中島の戦い
で
信濃善光寺
が焼失してしまうことをおそれ、信濃善光寺の本尊(
善光寺如来
)を甲斐国に移してきたことに始まります(1558年(永禄元年))。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
新しい投稿
前の投稿
ホーム
登録:
投稿 (Atom)