源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2023年1月9日月曜日
大高城への兵糧入れ~徳川家康と桶狭間の戦い~
大高城址
大高城
は、駿河の今川義元が上洛を企てて尾張に進出した際、今川氏に従っていた松平元康(のちの
徳川家康
)が兵糧入れを行った城。
桶狭間の戦い
で今川義元が織田信長に討たれると廃城となりました。
城山八幡社
城山八幡社は、鎌倉の
鶴岡八幡宮
を勧請したのだと伝わります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月8日日曜日
三つ葉葵
三つ葉葵
(
久能山
・日枝神社)
一説によると・・・
徳川将軍家へとつながる松平氏の発祥地の
松平郷
は
賀茂神社
の神領で、松平氏は氏子だったのだという。
賀茂神社とは、京都の
上賀茂神社
と
下鴨神社
のこと。
上賀茂神社
下鴨神社
賀茂神社の神紋は二葉葵。
三河国の武士団の多くは葵紋を使用していたのだとか・・・
松平氏も・・・
二葉葵
(カモアオイ)
家康は
新田義重
を祖とすると称しているが、葵紋を使用していることから、古代氏族の賀茂氏の末裔ではないかともいわれている。
賀茂神社
は賀茂氏の氏神。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月7日土曜日
徳川家康の父・松平広忠の廟所~岡崎市・松應寺~
徳川家康
の父松平広忠は、1549年(天文18年)に死去。
廟所は松を中心とした構造。
家康は、広忠が葬られたの墓の上に松を手植えして、松平家の繁栄を祈念したのだと伝えられています。
そして・・・
1560年(永禄3年)の
桶狭間の戦い
後、今川氏から
岡崎城
を奪還した家康は廟所に松應寺を建立。
松が緑深く伸長するのを見て「我が祈念に應ずる松なり」として名づけられたのだとか。。
松應寺
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月4日水曜日
岡崎城を奪還した松平元康(徳川家康)~桶狭間の戦い~
岡崎城
三河国の
岡崎城
は、竹千代(
徳川家康
)が生まれた城。
父の松平広忠が駿河国の今川氏に従っていたため、竹千代は6歳で今川氏の人質となり駿府で過ごすこととなります。
そして、1549年(天文18年)に広忠が死去すると、
岡崎城
は今川氏の支城となってしまいましたが・・・
桶狭間古戦場伝説地
(豊明市)
1560年(永禄3年)、
桶狭間の戦い
で織田信長が今川義元を破ると、松平元康(竹千代)は
岡崎城
を奪還して今川氏から独立。
幼い頃に生き別れとなっていた母の
於大の方
を迎え入れました。
岡崎城
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月2日月曜日
厭離穢土欣求浄土~再起を決意した家康:桶狭間の戦い~
厭離穢土欣求浄土
(家康の馬印)
少年期から今川氏の人質として駿河国で過ごしていた
徳川家康
(当時は松平元康)。
1560年(永禄3年)、今川義元が
桶狭間の戦い
で織田信長に敗れると、三河国の
大樹寺
に逃れて自害を決意したのだといいます。
しかし、住持の登誉天室に諭されて生き抜く決意をし、誕生地の
岡崎城
に辿り着いたのだと伝えられています。
その時、天室が説いた教えが「厭離穢土欣求浄土」。
桶狭間古戦場公園
大樹寺
岡崎城
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