別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年6月23日木曜日

北鎌倉アジサイ情報!見ごろの明月院ブルー2022/06/23


明月院ブルーは今がピーク。

6月いっぱい楽しめそうです。



正面の参道は、写真を撮る人で大混雑だったので、遠くから・・・










沙羅双樹

沙羅双樹(ナツツバキ)は、朝咲いて夕方には落ちてしまう一日花。




明月院のアジサイ

明月院のハナショウブ

沙羅双樹


明月院







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

~アジサイの名所~
鎌倉のアジサイ


北鎌倉のアジサイ


鶴岡八幡宮のハス

中尊寺ハス

光明寺のハス

光明寺観蓮会


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源頼朝の暗殺を企てた平景清の伝説~東大寺大仏殿落慶供養~


平景清は平家の家人。

平姓で呼ばれていますが、藤原秀郷の子孫なのだといいます。

壇ノ浦の戦い後に逃亡して、のちに源頼朝を暗殺しようとしたのだと伝えられています。

景清は、「悪七兵衛」と呼ばれた勇猛な武将で、屋島の戦いでは、三保谷十郎の兜の錣(しころ)を引きちぎったという逸話が残されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1195年(建久6年)、源頼朝東大寺大仏殿の落慶供養に参列するため上洛しました。

景清は、そのときに頼朝の暗殺を企てたのだといいます。


(奈良:東大寺)

東大寺転害門は、平重衡の南都焼討の兵火を免れた貴重な建物。

景清はこの門に隠れて頼朝の命を狙ったのだと伝えられています。

そのため「景清門」とも呼ばれるそうです。


景清爪形観音
(京都:清水寺随求堂前)

清水寺随求堂前に置かれた石灯籠には、頼朝を暗殺しようとして捕らえられた景清が、牢の中で自らの爪で彫ったという千手観音が祀られているそうです。


(京都:石清水八幡宮)

景清は、石清水八幡宮を参詣した頼朝を狙ったのだとも伝えられています。

石清水八幡宮の表参道と石清水社の分岐点に景清塚があります。


六波羅蜜寺:阿古屋塚
(京都:六波羅蜜寺)

阿古屋は景清の思い人。

阿古屋を捕らえた畠山重忠は、詮議のために琴・三味線・胡弓を弾かせた(阿古屋の琴責め)。

しかし、その音色に一点の乱れもなかったことから、「阿古屋は景清の所在を知らない」として釈放したのだとか・・・。

六波羅蜜寺清盛塚の横には阿古屋の菩提を弔うための石塔(阿古屋塚)が建てられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

景清窟
景清窟の跡
(鎌倉:仮粧坂)

鎌倉の仮粧坂にある牢跡は、捕らえられた景清が閉じこめられた所と伝えられています。


人丸塚
(鎌倉:安養院)

安養院人丸塚は、平景清の娘・人丸姫の供養塚。

人丸姫は、捕えられた父に会うため京都より鎌倉に下ってきますが、会うことはできませんでした。

景清の死後、尼となって景清が幽閉されていた石牢の上に、景清の守本尊(十一面観音像)を祀ったのだそうです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

参考までに・・・

『吾妻鏡』によると、景清の兄上総五郎兵衛尉忠光は、鎌倉永福寺の造営現場に現れ、頼朝を暗殺しようとしたのだ伝えられています(参考:源頼朝暗殺計画)。




東大寺大仏殿落慶供養

南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~


東大寺

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2022年6月22日水曜日

石清水八幡宮の頼朝の松




1195年(建久6年)、東大寺大仏殿落慶供養に参列するため上洛した源頼朝は、石清水八幡宮を参拝。

このとき、鎌倉から6本の松の苗木を持参して石清水八幡宮の境内に植え、石清水八幡宮から持ち帰った松を鶴岡八幡宮の境内に植えたのだと伝えられています。


現在の松は、1955年(昭和30年)に奉納されたもの。



石清水八幡宮

石清水八幡宮は、京都の裏鬼門を守護する神社として朝廷・公家・武家の尊崇を集め、とくに源氏は氏神として信仰しました。

頼朝が武家の都・鎌倉の中心に据えた鶴岡八幡宮は、源頼義が1063年(康平6年)に石清水八幡宮を勧請したことに始まります。



石清水八幡宮


南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~


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妻の死と出家と橋供養と頼朝の死~稲毛重成~


稲毛重成は、武蔵国稲毛(現在の川崎市)の武将。

重成の妻は北条時政の娘、北条政子北条義時の妹。

1195年(建久6年)3月の源頼朝東大寺大仏殿落慶供養に参列にも随行しました。

重成の妻が重病となったのはその帰路の事。




☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『吾妻鏡』によると・・・

6月28日、美濃国の青墓に頼朝の行列が到着すると、武蔵国からの伝令が到着し、重成の妻が重病であることを伝えます。

頼朝が重成に足の速い馬を与えると、重成はすぐに飛び乗って走り出したのだといいます。

7月1日、重成が武蔵国に到着。

頼朝が重成に与えた馬は龍のようだったので三日黒と名付けられたのだとか。

7月4日、重成の妻が亡くなり、重成は出家。


広福寺
(川崎市)

妻を亡くした悲しみから出家した重成は、広福寺を氏寺とします。


7月9日、政子が喪に付すため比企能員邸へ。

7月10日、時政と義時が喪に付すため伊豆国へ。

(その他、多くの御家人が許しを得て自国へ帰ったのだそうです。)

8月9日、政子邸で行慈法眼を導師として法事が行われました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


のちに重成は、亡き妻の供養のために相模川に橋を架け、頼朝が渡り初めを行います(1198年(建久9年)12月27日)。

『北条九代記』などによると、頼朝はその帰路に落馬し、翌年正月13日に亡くなります。


旧相模川橋脚

旧相模川橋脚は、源頼朝が渡り初めをした橋の遺構と考えられています。



稲毛重成の墓
(広福寺)







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

東大寺大仏殿落慶供養


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初代執権北条時政


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歴史めぐり源頼朝







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