別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年8月8日日曜日

源頼朝と坂東三十三観音~鎌倉の8月10日は四万六千日~


杉本寺


坂東三十三箇所は、源頼朝の観音信仰と、源平の戦いで西国に赴いた武者たちが西国三十三箇所の霊場を観たことで、鎌倉時代初期に開設につながったのだといわれています。

その後、観音巡礼は、西国三十三箇所・坂東三十三箇所に、秩父三十四箇所が加わり、百観音巡礼として発展しました。




1180年(治承4年)10月2日、鎌倉入りを目指す源頼朝は、三万騎を率いて大井川・隅田川を渡ります。

その時、浅草寺では、平氏討滅祈願を行ったと伝えられています。

浅草寺は、東京都で唯一の坂東札所(第十三番)。


岩殿観音
(東松山市)

正法寺(岩殿観音)は、坂東札所第十番。

頼朝が武蔵国比企郡の豪族・比企能員に命じて正法寺を復興させたことで坂東札所の一つに選ばれたのだとも・・・


(宇都宮市)

大谷寺の本尊は弘法大師作と伝えられ、日本最古の石仏といわれる千手観音。

坂東札所第十九番。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



清水寺は、奈良時代後期に創建された観音霊場。

西国三十三箇所十六番。

頼朝の守り本尊は、清水寺から賜った観音像。


石山寺東大門

石山寺は、西国三十三箇所の十三番。

東大門鐘楼多宝塔は頼朝の寄進と伝えられ、頼朝の供養塔も建てられています。


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~四万六千日~

「四万六千日」は観音さまの縁日。

もとは京都の清水寺などで行われている「千日詣」ともいわれています。

浅草寺の四万六千日は7月ですが、鎌倉は8月10日。

この日に観音さまにお詣りすると、四万六千日間お詣りしたのと同じご利益があるとされています。

坂東札所の杉本寺安養院長谷寺では、早朝から開門しています。


杉本寺
午前4時開門

杉本寺は坂東札所一番。

行基、慈覚、恵心の三体の十一面観音が安置されている鎌倉最古の寺。


安養院
午前5時開門

安養院は坂東札所三番。

札所本尊の千手観音は、源頼朝の家臣田代信綱が信仰していた観音像を胎内に納めていることから、田代観音と呼ばれています。


長谷寺
午前4時開門

長谷寺は坂東札所四番。

本尊は、開山の徳道の願いで造立されたという日本最大級の十一面観音像


四万六千日


覚園寺の黒地蔵縁日も8月10日
黒地蔵縁日


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2021年8月7日土曜日

京都:六道の辻~六道珍皇寺・西福寺・子育て幽霊飴・六波羅蜜寺~


清水寺の参道清水坂を下り、東大路通を越えた松原通沿いには、六道珍皇寺西福寺があります。

その昔、このあたりは「六道の辻」と呼ばれていたそうです。

平安京の埋葬地・鳥辺野の入口であったためそう呼ばれたのだといいます。




六道珍皇寺は、いつ誰が創建したのかは定かでありませんが、

小野篁がこの世とあの世を行き来したという井戸が残され、あの世とこの世の境にある寺として信仰されてきました。

閻魔堂には小野篁が彫ったという閻魔大王像と小野篁像が安置されています。


本堂

閻魔堂

冥途通いの井戸

六道珍皇寺の鐘楼(迎え鐘)


8月7日~10日までは「六道詣」。

盂蘭盆前に六道珍皇寺で「迎え鐘」を撞いて、死者の精霊をお迎えする行事です。

六道珍皇寺は鐘は、鐘楼の外に出された綱を引っ張って打ち鳴らします。

その音は十万億土へ響き渡り、その音を聞いて精霊たちが帰ってくるのだといいます。






西福寺は「六道の辻地蔵尊」と呼ばれ、「六道詣」のときには、「六道絵」が公開されるそうです。


子育て幽霊飴


西福寺の辻向かいには「幽霊子育飴」を売る店があります。

ある若い女が死んだあと墓場の中で子を生み、その子を育てるために夜な夜な飴屋に現れて水飴を買っていったという伝説が残されています。

※鎌倉の松源寺(廃寺)にも同じような伝説が残されています(参考:窟堂)。



六道之辻と刻まれた石柱(西福寺前)





平安時代、疫病が流行すると「六道の辻」には、多くの死体が捨てられたそうです。

その供養のために空也上人が建てたのが西光寺だったといいます。

現在の六波羅蜜寺です。








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鎌倉との繋がりを求めて!
奈良京都

京都五山

源義経をめぐる京都


歴史めぐり源頼朝


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2021年8月6日金曜日

今日から「ぼんぼり祭」~鶴岡八幡宮~




今日から「ぼんぼり祭」が始まりました(8月9日まで)。







鶴岡ミュージアムでは、特別展「雪洞100選」が開催されています。


ぼんぼりうちわ

今年の「ぼんぼりうちわ」は、来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の脚本を手掛けるは三谷幸喜先生の揮毫。




運慶は武家の都鎌倉の仏像に大きな影響を与えた奈良仏師。

鎌倉には運慶の真作は残されていませんが、北条時政願成就院(伊豆の国市)・和田義盛浄楽寺(横須賀市)には運慶仏が残されています。

三谷先生の矜羯羅童子(こんがらどうじ)は、金剛峯寺のもののようです。











ぼんぼり祭


運慶


鶴岡八幡宮







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8月10日の鎌倉は功徳の日!

黒地蔵縁日

四万六千日

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鶴岡八幡宮例大祭


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2021年8月5日木曜日

源頼朝は成朝/北条時政・和田義盛は運慶


運慶
(六波羅蜜寺)


運慶は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて活躍した奈良仏師。

奈良仏師は興福寺を拠点に活動していました。

平等院の阿弥陀如来坐像(国宝)を造立した定朝の流れをくむ仏師集団です。


興福寺五重塔



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~成朝に造仏を依頼した源頼朝~

1185年(文治元年)、源頼朝は奈良仏師成朝を招いて、勝長寿院の阿弥陀如来像を造立させてまいす。

『吾妻鏡』によると丈六の皆金色の阿弥陀仏だったのだといいます。

成朝は、奈良仏師の本家慶朝の子。

頼朝は何故、奈良仏師の中から成朝を選んだのか・・・

これには諸説あるようですが、

頼朝の場合、範頼義経といった兄弟の関係からもわかるとおり、系統や血筋を重視するタイプ。

したがって「定朝の嫡流」である成朝を選んだのではないかという考えが有力のようです。

当時、奈良仏師の中で僧綱位にあったのは運慶の父康慶のみだったそうです。

それでも頼朝は無位の成朝を選んでいます。

※僧綱位とは、法橋・法眼・法印といった僧位。


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~北条時政と和田義盛は運慶に造仏依頼~

1186年(文治2年)、北条時政願成就院の諸仏制作を運慶に依頼。

阿弥陀如来像・不動三尊像・毘沙門天像・こんがら童子像・せいたか童子像は、運慶の真作で、2013年(平成25年)、国宝に指定されています。


願成就院



1189年(文治5年)、和田義盛浄楽寺の諸仏制作を運慶に依頼。

阿弥陀如来及両脇侍像・不動明王像・毘沙門天像は運慶の真作で国の重要文化財に指定されています。


浄楽寺


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~何故、運慶だったのか?~

北条時政和田義盛は、何故、成朝ではなく運慶を選んだのか・・・

頼朝と同じ成朝にするわけにもいかず、さらに、傍系であっても僧綱位にあった康慶を選ぶわけにもいかないため、運慶を選んだのだという考えが有力のようです。

頼朝に配慮してということだったようです。


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東大寺の金剛力士像
(東大寺)

運慶は、平重衡によって焼かれた興福寺東大寺の復興に貢献しました。

東大寺南大門の金剛力士像は、その代表作として知られています。


晩年には鎌倉幕府関係の造仏に多く携わっています。

称名寺(横浜市金沢区)の塔頭光明院の大威徳明王は、1216年(建保4年)、最晩年の運慶によって造立された貴重な仏像です。

『吾妻鏡』によると、源実朝の持仏堂「釈迦如来像」、北条義時の大倉薬師堂「薬師如来像」、勝長寿院「五大尊像」が運慶作だったのだといいます。




興福寺

東大寺







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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


宿老13人の合議制


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