別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2025年3月10日月曜日

源頼朝 旗挙げ鍋 ~真鶴町:源頼朝旗挙祭2025~




真鶴町で1997年まで開催されていた「源頼朝旗挙げフェスティバル」で使用された外周9.3メートルの大鍋。

容積は31890リットル。

一回の調理でお椀16000杯分の食事を賄うことができる世界最大級の大鍋です。


この鍋が2025年3月16日に開催される「源頼朝旗挙祭」で復活。

真鶴で獲れた伊勢海老をはじめとした魚介類や地域の野菜を使用した「頼朝旗挙鍋」が振舞われます。

「源頼朝旗挙祭」は、もしもの時の備えとしての「炊き出し訓練」を兼ねているそうです。



天候の影響で
3月23日に順延となっています。
源頼朝旗挙祭


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鵐窟

1180年(治承4年)8月17日、源頼朝伊豆国で挙兵して相模国へと進軍。

しかし、8月24日、石橋山の戦いで大敗。

山中を彷徨った後、土肥実平の手引きで真鶴の鵐窟に身を潜めました。

その際、頼朝は、もてなしてくれた浦人三人に五味・青木・御守の苗字を与えたのだといいます。

青木さんは鵐窟の入口を木の枝で隠しました。

御守さんは見張り役をしました。

五味さんは食事を提供したのだとか。



貴船神社

貴船神社は、頼朝が戦勝を祈願したといわれる社。

参道石段には頼朝の腰掛石が残されています。



岩海岸

岩海岸「源頼朝旗挙祭」が開催される浜。

貴船神社で祈願した頼朝は、8月28日、岩海岸から安房国へ向けて船出したのだといいます。

安房国で再起した頼朝は、10月、大軍を率いて鎌倉入りを果たします。




源頼朝旗挙祭


湯河原・真鶴の源頼朝伝説


湯河原町では・・・
土肥祭
(4月6日)


夏には・・・
貴船祭
(7月25日・26日)


歴史めぐり源頼朝








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2025年3月8日土曜日

江の島で源頼朝の武者行列~湘南江の島春まつり~2025/03/08




「湘南江の島春まつり」の初日に行われた武者行列


1182年(養和2年)、源頼朝文覚に命じて江の島弁財天を勧請しました。

その理由は、奥州平泉藤原秀衡を調伏するため。

武者行列は、頼朝江の島で戦勝祈願をした時の様子を再現したもの。


頼朝役は、ふじさわ観光親善大使のつるの剛士さん。



湘南江の島春まつり


江の島武者行列

江の島流鏑馬



江の島弁財天

巳年だ!蛇だ!弁財天だ!


江の島









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狩宿さくらまつり2025~源頼朝ゆかりの下馬桜:富士宮市~




富士宮市の狩宿という地名は、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りに由来しています。



井出家の高麗門と長屋

1193年(建久4年)5月15日、富士裾野に到着した源頼朝は、井出館を宿営の場所にしたのだと伝えられています。


狩宿の下馬桜

そして、井出家の前にあるのが「狩宿の下馬桜」。

頼朝のもとを訪れた御家人たち下馬した場所なのだとか。

頼朝が馬をつないだという伝承もあることから「駒止めの桜」とも呼ばれています。

日本五大桜の一つ。





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(埼玉県北本市)

富士裾野の巻狩りの際に起きたのが曽我兄弟の仇討ち

頼朝の弟範頼は、この事件をきっかけに謀反を疑われ、伊豆の修禅寺に幽閉されました。

修禅寺で最期を遂げたとも伝えられていますが、武蔵国の石戸(現在の北本市)に落ち延びたという伝説が残されています。

石戸蒲ザクラは、蒲の冠者と呼ばれた範頼の杖が根付いた桜と伝えられ、狩宿の下馬桜とともに日本五大桜に数えられています。




巻狩りと仇討ち





富士裾野の巻狩り

曽我兄弟の仇討ち

白糸の滝

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2025年3月7日金曜日

石戸蒲ザクラの板石塔婆~北本市:東光寺~




かつて、東光寺境内に聳える石戸蒲ザクラの根元には、二十二基の板石塔婆(板碑・青石塔婆)が立てられていました。

現在は東光寺の収蔵庫に保管されています。

板石塔婆は、死者の供養や生前に死後のやすらぎを願って造られた供養塔。


貞永の板石塔婆

貞永二年(1233年)の銘がある板石塔婆は全国で四番目に古いもので県指定の文化財。

この他、寛元四年(1246年)銘、建長三年(1251年)銘のものもあります。


【板石塔婆の公開】

令和7年3月29日(土曜日)・30 日(日曜日)、東光寺で板石塔婆が公開されます。

午前10時から午後3時まで


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


板石塔婆は、鎌倉時代から室町時代前期にかけて造立されたものが多く、鎌倉武士の本貫地とその所領に立てられていることから、鎌倉武士の信仰に強く関連すると考えられています。


貞永の板石塔婆が立てられたのは三代執権北条泰時の時代。

寛喜の大飢饉による影響が続いていた時代です。

飢饉の状態は、1239年頃まで続いたものと考えられ、「天下の人種三分を一失す」といわれるほどでした。


寛元と建長の板石塔婆が立てられたのは五代執権北条時頼の時代。

寛元四年は、四代執権北条経時が亡くなり、四代将軍だった九条頼経が鎌倉から追放されるという政情不安定の時代(宮騒動)。

翌年には宝治合戦が起こり三浦氏千葉氏が滅ぼされています。



石戸蒲ザクラ









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源頼朝旗挙げ武者行列~令和7年4月6日:湯河原町~


『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)8月17日、伊豆国源頼朝が挙兵。

伊豆国の目代・山木兼隆を討った頼朝は、20日、相模国へ進軍。

土肥実平も嫡男の遠平とともに頼朝に従います。

23日には石橋山に布陣しますが、24日未明には大庭景親伊東祐親の軍に大敗。

頼朝は実平の手引きで土肥山中に逃れ、箱根権現に身を寄せますが、25日には土肥郷へ下ります。

そして、28日、再挙するため真鶴から船出。

29日、安房国の平北群猟島に上陸し、鎌倉を目指します。




「土肥祭」は、土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を本拠としていた土肥実平を偲ぶ祭。

「源頼朝旗挙げ武者行列」は、伊豆国で挙兵した源頼朝実平らととも土肥郷から石橋山に出陣する様子を再現するイベント。

頼朝主従約200名が町内を練り歩きます。

源頼朝役は湯河原町観光大使で俳優の船越英一郎さん。

土肥実平役は同じく河相我聞さん。







土肥祭


湯河原・真鶴の源頼朝伝説








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