富士宮市の狩宿という地名は、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りに由来しています。
1193年(建久4年)5月15日、富士裾野に到着した源頼朝は、井出館を宿営の場所にしたのだと伝えられています。
そして、井出家の前にあるのが「狩宿の下馬桜」。
頼朝のもとを訪れた御家人たち下馬した場所なのだとか。
頼朝が馬をつないだという伝承もあることから「駒止めの桜」とも呼ばれています。
日本五大桜の一つ。
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(埼玉県北本市)
富士裾野の巻狩りの際に起きたのが曽我兄弟の仇討ち。
頼朝の弟範頼は、この事件をきっかけに謀反を疑われ、伊豆の修禅寺に幽閉されました。
修禅寺で最期を遂げたとも伝えられていますが、武蔵国の石戸(現在の北本市)に落ち延びたという伝説が残されています。
石戸蒲ザクラは、蒲の冠者と呼ばれた範頼の杖が根付いた桜と伝えられ、狩宿の下馬桜とともに日本五大桜に数えられています。
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