オオシマザクラの突然変異種とされる桐ヶ谷(きりがや)と普賢象(ふげんぞう)は鎌倉原産の桜。
桐ヶ谷はソメイヨシノより少し遅れて開花する八重と一重が混生する桜。
室町時代(南北朝期)には、足利尊氏によって京都御所の紫宸殿の左近の桜として植えられ、仁和寺辺りにも植えられたのだと伝えられています。
南北朝期の公卿・洞院公賢の日記『園太暦』(えんたいりゃく)には、1357年(延文2年)3月19日、南庭に桜が植えられ、非常にすぐれた美しさで「鎌倉桜」という名であることが記録されているようです。
「今日南庭渡栽桜樹、殊絶美花也、号鎌倉云々」
江戸時代には、後水尾天皇が「この桜は八重なのか一重なのか」を確かめるために御車を返したのだといいます。
そのため京都では、「桐ヶ谷」を「御車返し」(みくるまがえし)と呼んでいるようです。
鎌倉の極楽寺には北条時宗のお手植えと伝えられる古木があって「八重一重咲分桜」と呼ばれています。
普賢象はソメイヨシノの後に開花する遅咲きの八重桜。
桐ヶ谷と同じ頃に京都に運ばれ、室町幕府3代将軍の足利義満は、仁和寺辺りに植えられていた普賢象の美しさに心を打たれたのだといいます。
また、後小松天皇を北山殿に招いた際、御小松天皇から引接寺(千本ゑんま堂)の桜を薦められ、境内に咲き誇る普賢象を観て感嘆したのだとも伝えられています。
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~鎌倉市の木~
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