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「いらすとや」より
『吾妻鏡』によると・・・
1193年(建久4年)3月21日、源頼朝は下野国那須野や信濃国三原などの狩倉(狩猟の場・山野)の様子を見るために出発します。
狩猟に慣れた多くの御家人が集められますが、そのうち弓馬に達者で心に隔たりのない22人を選んで弓矢を携帯させ、他の御家人らには踏馬衆(動物を追い出す役)を命じました。
その22人とは、
北条義時 武田信光 小笠原長清 里見義成 小山朝光 下河辺行平 三浦義連 和田義盛 千葉成胤 榛谷重朝 諏方盛澄 藤沢清親 佐々木盛綱 渋谷高重 葛西清重 望月重義 梶原景季 工藤行光 仁田忠常 狩野宗茂 宇佐美助茂 土屋義清
弓馬四天王に数えられ、武田流流鏑馬や小笠原流流鏑馬の祖である武田信光や小笠原長清をはじめ、流鏑馬の射手に選ばれたことのある者や、源平の戦いで名を挙げた者ばかりの中に北条義時が入っています。
参考までに・・・
1181年(治承5年)4月7日、源頼朝は、御家人の中から特に弓矢の技術に優れた者、また、頼朝に忠実な者を11名選んで、寝所近辺の警護を命じました。
この11名の中にも義時は入っています。
その時に選ばれたのは、
北条義時 下河辺行平 小山朝光 和田義茂 梶原景季 宇佐美実政 榛谷重朝 葛西清重
三浦義連 千葉胤正 八田知重
『吾妻鏡』の二つの記事からすると、北条義時は弓馬の達人であり、源頼朝から信頼されていたようです。
ただ、義時の名は後から付け加えられたという説もあるようです・・・
先頭に名を記されるというのも疑問です。
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