『吾妻鏡』によると・・・
1181年(治承5年)4月7日、源頼朝は、御家人の中から特に弓矢の技術に優れた者、また、頼朝に忠実な者を11名選んで、寝所近辺の警護を命じました。
選ばれた11名は、頼朝が最も頼りとしていた有力御家人の子息たち。
北条義時
北条時政の子
下河辺行平
小山氏の一族で下野国下河辺荘の武将。
畠山重忠の弓馬の友。
結城朝光
下野国小山荘を本拠とした小山政光の子。
母は源頼朝の乳母を務めた寒河尼。
和田義茂
侍所別当・和田義盛の弟。
武芸に優れた弓の名手。
梶原景季
侍所所司・梶原景時の子。
のちの宇治川の戦いで佐々木高綱と先陣を争い武名をあげた。
宇佐美実政
伊豆国大見荘の武将で、頼朝の挙兵から従っていた。
榛谷重朝
秩父氏の一族で弓の達人。
葛西清重
武蔵国豊島郡を本拠とした豊島清元の子。
三浦義連
頼朝が頼りとした三浦一族総帥・三浦義明の子。
千葉胤正
頼朝に鎌倉入りを進言したという千葉常胤の子。
八田知重
下野宇都宮氏の一族八田知家の子。
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