別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年7月7日日曜日

平治の乱と清水観音と源義経の母常盤御前

1159年(平治元年)12月の平治の乱で、源義朝を破った平清盛

翌1160年(平治2年)正月3日、義朝は、尾張国野間で長田忠致に暗殺され、長男義平と次男朝長は討死しています。

三男の頼朝は1160年(平治2年)2月9日に捕えられました。

残るは義朝の側室常盤御前が産んだ三人の子を探す清盛・・・。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『平治物語』によると・・・

源義朝が暗殺された後、途方に暮れ、忘れ形見の三人の子に慰められて生きてきた常盤御前

もし、この子たちが捕えられたら・・・

隠れる所もない常盤は、長年信仰してきた観音様を頼ることとします。

2月9日の夜、8歳になる今若を先に行かせ、6歳の乙若の手を引き、2歳の牛若を懐に抱いて、清水寺に参ります。

9歳から月詣をはじめ、15歳になるまで18日ごとに観音経を読み、その年から毎月法華経三部、19歳のときから日ごとに三十三体の御姿を書き写していたという常盤は、夜通し祈りました。

「わたしのことはともかく、三人の子どもたちの命をお助けください」


夜が明けようとする頃になって師の宿坊へ入った常盤。

師は「しばらく、ここに隠れているように」と言いますが、常盤は「嬉しいことですが、ここは六波羅に近い所なので長居はできません。もし、私の事を思っていただけるのであれば、観音様にお祈りください」と言って夜も明けぬうちに出て行ったのだそうです。


(清水寺)

常盤が祈ったのは千手観音。

子安塔に安置されている千手観音だと伝えられています。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

その後、大和に逃れた常盤御前と3人の子たち。

しかし、都に残った常盤の母が捕えられてしまいます。

母を助けるか、三人の子を落ち延びさせるのか・・・

悩んだ末、清盛の下へ自首することを決めた常盤は、都へと戻って行きます。

平清盛のいる六波羅へ送られた常盤と3人の子(今若・乙若・牛若)は、清水観音の力によって命を救われたのだと伝えられています。

今若は、のちの阿野全成

乙若は、源義円

牛若は、源義経

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

その後・・・

醍醐寺

今若(全成)は出家して醍醐寺へ。

園城寺

乙若(義円)も出家して園城寺へ。

鞍馬寺

幼かった牛若(義経)は、11歳になってから鞍馬寺に預けられました。

その間、常盤御前は一条長成と再婚。

のちに頼朝と対面した義経は「継父一條長成の世話によって、出家をして、鞍馬に登った」と語っています。


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