(参考:立正安国論~鎌倉と日蓮~)
しかし、幕府には受け入れられず、しかも、その提出から約1ヶ月後の8月27日夜、松葉ヶ谷の草庵が焼き討ちされてしまいます(松葉ヶ谷法難)。
(参考:松葉ヶ谷法難・・・鎌倉:妙法寺)
安国論寺の南面窟 |
草庵を焼き討ちされた日蓮を助けたのは、どこからともなく現れた白猿だったといいます。
安国論寺の裏山には、白猿に導かれて最初に避難したという「南面窟」が残されています。
そして、日蓮は、ここから「お猿畠」に避難します。
法性寺の山門 |
JR横須賀線の車窓からも見える法性寺の山門。
法性寺は、逗子市にある日蓮宗の寺で、草庵を焼き討ちされた日蓮が避難した地に建てられました。
山門の額 |
法性寺の山号は「猿畠山」。山門の額には、日蓮を「お猿畠」に導いたという白猿がいます。
本堂 |
奥の院へと続く石段横にも白猿 |
奥の院 |
日蓮が避難したという岩窟 |
白猿に導かれた日蓮は、「お猿畠」の岩窟に避難します。奥の院の左側に残されている岩窟です。
そのとき、白猿は日蓮に「お猿畠」の生姜を捧げたと伝えられています。そのことにちなんで、妙法寺では「厄除け生姜供養」が行われています。
日朗の廟所 |
奥の院の前には、日蓮の弟子日朗の廟所があります。
日朗は、日蓮に「お猿畠」に寺を建てるように言われたといいますが、寺を建てる前に亡くなってしまったそうです。
日朗の荼毘所(安国論寺) |
日朗の遺体は、松葉ヶ谷で荼毘に付されました。
「自分が最初に出家をし、黒髪を剃り落とした懐かしい松葉ヶ谷で荼毘に付してほしい」という遺言があったからだと伝えられています。
山王大権現 |
奥の院の上には山王大権現が祀られています。
山王大権現からの景色 |
名越切通の大切岸 |
奥の院の裏山は、鎌倉七口の一つ「名越切通」へと通じています。
奥の院の墓地からは、北条氏が鎌倉防衛のために築いたという「大切岸」がよく見えます。
(※近年の発掘調査では、「大切岸」は石切場の跡だということが判明したそうです。)
まんだら堂やぐら群 |
名越切通には、中世の埋葬施設と考えられる「まんだら堂やぐら群」があります。
150穴以上の「やぐら」が確認されている貴重な遺構です。
「まんだら堂やぐら群」は、日蓮宗関係の葬地だったともいわれています。
(池上本門寺)
鎌倉手帳
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