鎌倉の東の境は六浦です。
鎌倉時代、六浦の港は物資の集積地として栄えていました。そのため、多くの行商人が朝夷奈峠を越えて鎌倉に入ってきました。
ここに、伝説の塩嘗地蔵と六地蔵が安置されています。
長い間旅人を見守ってくれたお地蔵さまの顔は、すっかり風化してしまっています。
この石造のお地蔵さまには次のような伝説が残されています。
朝比奈峠を越えてやってきた行商人は、かつては街道(六浦道)沿いにあったこのお地蔵さまに塩を初穂として供えた後、鎌倉の街に入っていたといいます。
ところが、帰りには塩がなくなっていたのだそうです。そのため、「塩嘗地蔵」と呼ばれるようになったのだと伝わっています。
今でもお地蔵さまには塩が供えられています。
当時、塩は大変貴重な物資でした。
鎌倉にも海がありますが塩田には向いていない浜でしたので、六浦から運ぶ必要がありました。
そのため、朝比奈峠は「塩の道」と呼ばれていたようです。
塩嘗地蔵にはもう一つこんな伝説も残されているようです。
ある塩売りが、お地蔵さんが塩を嘗めるのを見張っていましたが、一向に嘗めないので、塩をぶちまけたところ、それまで金色に輝いていたお地蔵さんが、輝きを失ってしまったという伝説です。