黒漆塗の白旗神社 https://www.yoritomo-japan.com/page041sirahata-hatiman.htm |
向拝柱 |
向拝の四本の角柱は、川口の鋳物師によって製作されたものです。
埼玉県の川口市は、荒川を挟んで向こう側が東京都という立地で、かつては「鋳物の街」として栄えました。
映画「キューポラのある街」でも取り上げられた歴史のある街です。
1200年(正治2年)、北条政子が朝廷より「白旗大明神」の神号を賜って創建したのが白旗神社であると伝えられています。
もとは、上宮(本宮)の西側にありましたが、1885年(明治18年)、下宮(若宮)東側の薬師堂跡に移され、「武衛殿」と称されました。
その扁額は島津藩の島津久光の筆と伝えられています。
源実朝を祀る柳営社が合祀されたのもその時です。
参考:丸山稲荷社
https://www.yoritomo-japan.com/page041maruyamainari.htm
参考:丸山稲荷社本殿
http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_25.html
1590年(天正18年)、小田原の北条氏を滅ぼし、鶴岡八幡宮を詣でた豊臣秀吉は、白旗神社へも赴き、源頼朝の木像に話しかけたという逸話が残されています。
「微少な身の育ちでありながら天下に号令するまでになったのは、わが国で御身と吾のみである。
しかし、御身は名門の末流で、しかも頼義、義家は東国で名声をはせた。
だから伊豆の流人の境遇であっても関東の兵はこぞって御身に従った。
それだけに天下を統一するのに容易であったろうが、この吾は氏も系図も名もない卑賤から身を起こして天下をとったのである。
その点では御身より吾の方が出世頭である。しかしながら、御身と吾とは天下の友だちだわい。」
といって木像の背中を叩いたといいます。
その木像は、現在、東京国立博物館に所蔵されているものであろうといわれています。
手水舎 |
水盤(手水鉢) |
白旗神社の手水舎の水盤には、蓮弁の彫刻が施されています。
神仏混淆の時代の「鶴岡八幡宮にあった経蔵」で使われていたものといわれています。
白旗神社の石鳥居 |
流鏑馬馬場から白旗神社への道の入口に建てられています。
源氏池の畔、「さざれ石」の背後にある鳥居の残骸は、その大きさ・材質から白旗神社の笠木部分と考えられます。
笠木の残骸
白旗神社例祭 |
5月の例祭では、祭神の源頼朝と源実朝の崇敬者が多数参列し、二人の遺徳が称えられます。
菅裸馬句碑 |
「歌あ波れその人阿は連実朝忌」
白旗神社の左前方の植え込みの中にあります。
源実朝歌碑
「山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」
白旗神社参道沿いにある鎌倉国宝館本館前にあります。
関東大震災で倒壊したという二の鳥居の柱が使われているそうです
白旗神社~鶴岡八幡宮~
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鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html