別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2023年3月6日月曜日

第16回鎌倉検定1級の問題~宿老13人・鎌倉殿の13人~


(問) 鎌倉幕府2代将軍源頼家の元に置かれた宿老13人のうち、以下の人物以外の5人を書きなさい。





「宿老13人」とは、源頼朝に仕えた有力者たちのうち、頼朝亡き後、二代頼家の時代に執られた政策「十三人の合議制」の構成員。



鎌倉殿の13人


源頼朝

源頼家

源実朝


北条時政

北条義時

大江広元

三善康信

中原親能

三浦義澄

八田知家

和田義盛

比企能員

安達盛長

足立遠元

梶原景時

二階堂行政








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


鎌倉検定


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甲斐東光寺の仏殿~円覚寺舎利殿と同じく中世の禅宗様式を伝える建物~




甲府五山の一つ東光寺は、甲斐源氏の祖新羅三郎義光が建てた興国院を始まりとする寺。

鎌倉時代には鎌倉の建長寺を開いた蘭渓道隆が東光寺に流されています。

その時、臨済宗に改宗されたのだといいます。

北条高時からは五山十刹に次ぐ諸山の寺格が与えられました。

戦国時代には、織田信長・徳川家康の連合軍による甲州征伐で焼き討ちされてしまいますが、仏殿は奇跡的に難を免れました。

仏殿は、室町時代後期の建築と考えられ、鎌倉の円覚寺舎利殿とともに中世の禅宗様式を伝える貴重な建物です。

内部には、鎌倉時代のものされる薬師如来坐像と十二神将像が安置されています。







長篠の戦い

甲州征伐・天目山の戦い


天正壬午の乱


甲府五山








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄


徳川家康


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2023年3月5日日曜日

武田信玄は曽我五郎時致の生まれ変わり?


(甲府市:大泉寺)


武田信玄の父・信虎が創建した大泉寺には曽我兄弟の供養塔があります。

何故か・・・

それは、信玄が曽我五郎時致の生まれ変わりだから・・・


伝説によると・・・

正室の大井夫人を要害山城に避難させて今川氏との合戦をしていた信虎が夢見山の山頂でうたた寝をしていると、

夢の中に曽我十郎祐成が現れて、弟の五郎時致が甲斐国主を継ぐため誕生したことを告げたのだといいます。

目が覚めた信虎が耳にしたのは、大井夫人が要害山で男児を産んだという知らせだったのだとか・・・




積翠寺は、躑躅ヶ崎館(武田氏館)の後方に築かれた要害山城の入口にある寺。

信玄は、この寺で誕生したと伝えられています。






富士裾野の巻狩り

曽我兄弟の仇討ち


武田信玄







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

伊賀越え<


長篠の戦い

甲州征伐・天目山の戦い


天正壬午の乱


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吉良義昭~家康に敵対した三河一向一揆~




吉良氏は、源頼朝に仕えた足利義兼の孫・長氏が三河国幡豆郡吉良荘を領して吉良を名乗ったことに始まります(三河吉良氏)。

長氏の弟義継は奥州吉良氏の祖となっています。

参考までに・・・

長氏の父義氏は北条時政の娘時子が産んだので、長氏は北条時政の曾孫・北条政子の姪孫でもあります。


三河吉良氏は、南北朝期に西条と東条に分かれますが、戦国期に今川義元の取り持ちで、西条吉良氏を継いでいた吉良義昭が東条吉良氏も受け継ぎ今川氏に臣従したのだといいます。

その経緯については諸説あるようです。

1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、松平元康(徳川家康)が今川氏から独立。

義昭は家康と対立するようになりますが、藤波畷の戦いで降伏。

1563年(永禄6年)、西三河で三河一向一揆が起こると、一向宗と同盟を結び、再起をかけて家康に対抗しますが・・・

翌年1月、一揆は解体され、東条城に籠って抵抗していた義昭もやがて三河を撤退。

近江国に逃れた後、摂津国の芥川で戦死したのだといいます。

三河吉良氏の家督は、義昭の兄義安が継ぎました。








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

三河一向一揆

武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

伊賀越え


徳川家康


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