別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年2月16日木曜日

武田信玄の墓~甲府の火葬塚~




1572年(元亀3年)、遠江・三河に侵攻した武田信玄は、翌年、病に倒れ、甲府へ撤退する途中で亡くなりました。

甲府にある墓所は信玄が埋葬された地といわれ、3年後に甲州市の恵林寺に改葬されたのだといいます。






武田信玄


御旗楯無 御照覧あれ

風林火山

諏訪神号旗







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

伊賀越え


徳川家康


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三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討死した夏目広次

 

夏目次郎左衛門吉信旌忠碑


夏目吉信(広次)は、松平氏・徳川氏譜代の家臣。

1563年(永禄6年)に起こった三河一向一揆では、松平家康(徳川家康)に反旗を翻したが、家康の寛大な措置により赦免されました。

このことを恩に感じていた広次は、1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって武田軍に突入して討死したのだと伝えられています。

合戦時、浜松城の留守を任されていた広次は、味方の敗戦が濃厚と知ると、家康のもとへ走り、退却を進言しますが・・・

家康が突撃しようとしたので、家康を逃がすため、武田軍の中に突入していったのだとか。



三河一向一揆


三方ヶ原の戦い


徳川家康







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

伊賀越え


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2023年2月15日水曜日

猫がいる東慶寺の涅槃図





涅槃図は、お釈迦さまが入滅されるときの情景を表わした図。

中央に横たわる金色の方がお釈迦さま。

周りには、十大弟子をはじめ、さまざまな生き物が嘆き悲しむ様子が描かれています。





涅槃図の下方にはたくさんの動物たち。

お釈迦さまのもとに一番早く駆けつけようと走り出したのが牛でした。

その次が鼠。

鼠は牛に追いつくと牛の背中に飛び乗ります。

途中で昼寝をしている猫に出会いますが、起こさずそのままにしておいたのだそうです。

そして、お釈迦さまのもとに到着する寸前、鼠は牛から飛び降り、一番にお釈迦さまのもとに駆けつけることができたのだとか・・・

2番目に駆けつけたのが牛。

以下・・・虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鳥、犬、猪の順だったのだそうです。

以上の12の動物が干支となり、お釈迦さまのもとへ駆けつけた順番が干支の順番になったのだ言われているそうです。

ということで・・・

昼寝していた猫は、涅槃図には描かれないことが多いようです。

それでも、京都の東福寺の大涅槃図のように猫が描かれているものもあります。

実は、東慶寺の涅槃図にも猫が描かれています。


中央にいるのが猫

ボケてしまっていますが・・・



涅槃会


東慶寺








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2023年2月14日火曜日

東慶寺の涅槃図お絵解き講座





東慶寺で「涅槃図お絵解き講座」が開催されます。


絵解き師は岡澤恭子先生。

お釈迦さまの誕生から涅槃に入られるまでの生涯をわかりやすくお話くださいます。


2月25日(土)

13時半〜15時

場所:東慶寺 本堂

料金:2000円


※申込等の詳細は東慶寺のページで。



涅槃図


東慶寺の涅槃図は、仏教学者・鈴木大拙の松ヶ岡文庫に残されていた版木から印刷したものを彩色したのだそうです。


涅槃図は、お釈迦さまが入滅されるときの情景を表わした図。

中央に横たわる金色の方がお釈迦さま。

周りには、十大弟子をはじめ、さまざまな生き物が嘆き悲しむ様子が描かれています。



涅槃会


東慶寺








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2023年2月13日月曜日

「本證寺門徒連判状」~西三河の武士と三河一向一揆~




本證寺は、三河一向一揆の拠点となった寺。


「本證寺門徒連判状」は、本證寺八代の源正の死後、継職した「あい松」に関して本願寺の証如に認知されたことから、あい松を支持する門徒衆が1549年(天文18年)に作成した連判状。

松平氏・今川氏・吉良氏・水野氏に仕える有力武士門徒115名が忠誠を誓って署名していて、領主の対立とは関係のない宗教的な結束があったことを証明しているもの。


最初に名を連ねている石川清兼(忠成)は、徳川家康の祖父・松平清康と父・松平広忠に仕えた武将で、本願寺の信徒総代。

そのため、石川一族は33名もの者が名を連ねています。

「あい松」は、1562年(永禄5年)、加賀一向一揆で戦死した玄海のこととされています。


1563年(永禄6年)に起こった三河一向一揆では、この宗教的結束から家康の家臣の多くが反旗を翻し、清兼の子・石川康正も一揆に加担しています。

ただ、家康の側近・石川数正は、康正の子ですが浄土宗に改宗して家康に従ったのだと伝えられています。


参考までに、

本證寺は、源頼朝に仕えた小山朝政の次男といわれる慶円が鎌倉時代初期に開いた寺。

そのためか、頼朝が朝政に宛てた所領安堵状が伝えられているらしい。



三河一向一揆


徳川家康







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

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