別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年8月3日火曜日

鶴岡八幡宮~「鎌倉殿の13人」を空想しながら。~




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鶴岡八幡宮は、源頼朝が武家の都市づくりの中心に据えた社。

📎鶴岡八幡宮の遷宮

📎鶴岡八幡宮の造営

📎鶴岡八幡宮焼失



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1219年(建保7年)1月27日、源実朝の右大臣拝賀式に従っていた北条義時は、白い犬が楼門の傍らに見えたことで気分が悪くなり、剣持ち役を源仲章に譲って小町の屋敷に帰ったのだといいます。

その後、実朝と仲章は公暁に殺害されました。

📎源実朝の暗殺

📎源実朝が暗殺された日

📎北条義時と戌神将の伝説


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源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説の御神木。


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舞殿のある場所は、頼朝の命で、源義経が馬を引き、静御前が舞った場所。

📎源義経と大工の馬事件

📎静の舞


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若宮社殿横に聳えるビャクシンは、源実朝が宋から苗を取り寄せて植えたものと伝えられています。

📎宋に憧れた将軍~源実朝の渡宋計画~

📎源実朝が請来した仏舎利の伝説


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源氏池の島にある旗上弁財天社は、北条政子の建立とも伝えられ、社殿の背後には政子石が置かれています。


政子石

政子石は、夫婦円満と子宝の祈願石として信仰されてきました。


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1187年(文治3年)、源頼朝は鶴岡八幡宮で放生会を催します。

これが、現在の例大祭の起源といわれ、放生会では流鏑馬が奉納されました。

📎武田流流鏑馬

📎小笠原流流鏑馬

📎鶴岡八幡宮例大祭



流鏑馬馬場には、静御前の聖地の一つとされる福島県郡山市から静桜が植樹されています。



静桜の隣には、源実朝の首が葬られたという秦野市から実朝桜が移植されています。


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白旗神社は、源頼朝源実朝を祀る社。


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「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」

山が裂けて海が干上がってしまうような世になってしまっても、上皇様(後鳥羽上皇)を裏切るような心は私にはありません。

後鳥羽上皇源実朝は良好な関係を築いていたようですが、実朝が暗殺されると朝廷と幕府の関係は悪化し、1221年(承久3年)には、承久の乱が起こってしまいます。


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今宮は、承久の乱で配流となった後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇を祀ります。

📎承久の乱


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かつて、鶴岡八幡宮の裏山には供僧の住坊「二十五坊」がありました。

和田合戦時には、北条政子源実朝の妻坊門姫がここに逃れました。

源実朝を暗殺した公暁は、ここで食事をとった後、三浦義村邸に向かったのだといいます。

📎和田合戦

📎源実朝の暗殺


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若宮大路

鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」は、1182年(寿永元年)に北条政子が懐妊したのを機に整備が始まりました。

この時生まれたのが源頼家



中央の段葛は、全国で唯一残っている遺構。

現在の段葛は、二の鳥居からの500mほどの長さですが、造営当時は海岸まで通じていたそうです。


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源平池は、若宮大路と一緒に造営されたものと考えられています。

伊豆山権現の専光坊良暹(りょうせん)や大庭景義が造営の奉行を務めました。


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正式発表はまだですが、「大河ドラマ館」は鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムに設置される予定。



鶴岡八幡宮








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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


宿老13人の合議制


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源頼朝ゆかりの神楽坂若宮八幡神社




神楽坂若宮八幡神社は、源頼朝鶴岡八幡宮若宮を勧請したのが始まりという社。



若宮は、神霊を他所に分霊して祀った社、又は、本宮の祭神の子を祀った社。

鶴岡八幡宮若宮は後者。

そのため、祭神は仁徳天皇だったようですが、のちに応神天皇も祀られるようになったのだといいます(仁徳天皇は応神天皇の子)。









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奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~


奥州平泉


歴史めぐり源頼朝


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2021年8月2日月曜日

平将門を祀る神田明神~東京千代田区~


神田明神


神田明神は、730年(天平2年)の創建。

江戸時代には、江戸総鎮守として尊崇された神社です。

平将門が祀られていることでも知られています。


神田明神


神田明神の創建地は、武蔵国豊島郡芝崎村。

現在の千代田区大手町にある将門塚の周辺だったのだといいます。


神田明神

神田明神


神田明神



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~将門の首が飛来した地~
将門塚

~将門の首級が晒された地~
京都:神田明神
(京都)


鎌倉手帳


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将門塚~京都から飛んで来た平将門の首:東京千代田区~


将門塚


東京都千代田区大手町にある将門塚は、平安時代の武将・平将門の首塚。


伝説によると、反乱を起こして藤原秀郷と平貞盛に討たれた将門の首は、京都で晒されますが、3日後に白光となって舞い上がって飛び去ったのだといいます。

そして、飛来したのがこの地。

恐れた村人たちは、塚を作って埋葬したのだといいます。


その後、将門の霊は、塚の傍らにあった神田明神に奉祀されています。


源頼朝の挙兵に参じた房総平氏の千葉常胤上総広常は将門の子孫。


将門塚


将門塚は、令和2年11月から改修工事が行われ、令和3年4月に竣工しました。


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~将門が祀られた神田明神~
神田明神


~将門の首級が晒された地~

京都:神田明神
(京都)

京都の膏薬の辻子にある神田明神は、平将門の首級が晒されたという地にある祠。


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将門塚


鎌倉手帳


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2021年8月1日日曜日

三崎にあった源頼朝の三つの山荘~頼朝花の三御所~


『吾妻鏡』によると・・・

源頼朝は1194年(建久5年)閏8月1日に山荘を建てるため三崎の津に出かけています。

三崎の白浪と青山の景色は、極めて優れていたようです。

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大椿寺

大椿寺は、源頼朝の椿の御所跡に建てられた臨済宗妙心寺派の寺。

開基は頼朝の妾として椿の御所に住んでいた妙悟尼。

開山は建長寺の旭永。

本尊は十一面観世音菩薩。

大椿寺

1199年(建久10年)に頼朝が亡くなると、妙悟尼は旭永に大椿寺を開かせ、自らは尼となって頼朝の菩提をと弔ったのだと伝えられています。

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本瑞寺

本瑞寺は、源頼朝の桜の御所跡に建てられた曹洞宗の寺。

頼朝は、ここに千本の桜を植えさせて花見を楽しんだのだとか・・・

本瑞寺


開基は、戦国期の三浦氏の最後の当主・三浦義同(道寸)の嫡男・義意と伝えられています。

本尊は延命地蔵菩薩

保存されている室町時代の梵鐘は三崎最古。

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見桃寺

見桃寺は、源頼朝の桃の御所跡に建てられた臨済宗妙心寺派の寺。

見桃寺

三崎船奉行だあった向井正綱が1616年(元和2年)に創建。

開山は玄虎。

本尊は聖観世音菩薩。

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歌舞島

現在は陸続きですが、鎌倉時代は離れ島で兜に似ていたことから「兜島」と呼ばれていたという歌舞島

源頼朝が歌舞や酒宴を楽しんだことから歌舞島と呼ばれるようになったのだとか。

また、三浦義村の招きで訪れた四代将軍の藤原頼経が「来迎の儀」を行い、読経歌舞を催したことからとも伝えられています。

歌舞島
歌の町の碑








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歴史めぐり源頼朝



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必中必殺の源為朝の矢を受けて生き残ったのは大庭景義ただ一人!


大庭景義像
(茅ヶ崎市・神明大神宮)

大庭景義は、大庭御厨の懐島郷を本拠とした武将。

保元の乱で、源為朝の矢を足に受けて重傷を負い、歩行困難となってしまいますが、必中必殺の為朝の矢を受けて生き残ったのは景義一人ともいわれています。


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『吾妻鏡』によると・・・

1191年(建久2年)8月1日、新築の御所では、大庭景義が酒肴を献上し、宴会が催されます。

同席者は、足利義兼千葉常胤小山朝政三浦義澄畠山重忠八田知家、工藤景光、土屋宗遠、梶原景時、梶原朝景、比企能員岡崎義実佐々木盛綱ら。

宴会の席で景義は、頼朝の命により、保元の乱での逸話を語ります。


「勇士が用意すべきものは武具である。

中でも、弓の長さは重要である。

鎮西八郎為朝(源為朝)は、わが国で並ぶ者のいない弓の名人だったが、弓が身丈に対して長すぎたのかもしれない。

保元の乱の際、景義は、大炊御門河原で為朝に出会い、絶体絶命の状況になった。

そのとき、密かに思ったことは、「為朝は鎮西の武将だから、乗馬しているときの弓はそれほどでもないのではないか」ということ。

一方、景義は東国で乗馬に慣れている。

景義が為朝の右にすばやく廻ると、為朝はとっさに後ろを振り返るが、身丈よりも大きい弓を使っていたため、弓が下がり、放った矢は体ではなく膝に当たった。

もし、右に廻る作戦をとらなければ、命を落としていただろう。

若い者たちは「勇士は乗馬の達人であるべきこと」を耳の底に留めておかねばならない」


この話を聞いていた同席者は皆感心し、頼朝からはお褒めの言葉を頂いたのだとか・・・


神明大神宮
(茅ヶ崎市)

神明大神宮は、大庭景義が、館の鬼門に伊勢神宮を勧請して建立した社。






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奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~

奥州平泉


源頼朝をめぐる茅ヶ崎

歴史めぐり源頼朝


神明大神宮


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