別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年9月15日日曜日

鎌倉検定過去問~西行と源頼朝と鶴岡八幡宮放生会~


東大寺再興の勧進のため、陸奥に赴く途中、鎌倉で源頼朝に謁見した逸話が残る僧はだれか。

『吾妻鏡』によると、面会の折、源頼朝が西行に贈った銀の引き出物は何の動物を象ったものか。


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『吾妻鏡』によると、1186年(文治2年)8月15日、源頼朝は西行に面会しています。


西行像

西行は、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した僧。

俗名は、佐藤義清(のりきよ)。

その家系は藤原秀郷を祖とし、曾祖父の頃より「左衛門尉」であったことから「佐藤」を名乗るようになったとする説があります。

源頼朝に仕えた安達盛長や、源義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟が同族といわれています。


義清が誕生したのは、平清盛と同じ1118年(元永元年)。

鳥羽上皇の時代には、北面の武士として仕えました。

「北面」とは、白河法皇の時に院警固のための設置された制度で、弓馬の道に優れただけではなく、眉目秀麗で、詩歌管弦に堪能であることが条件とされていたそうです。

しかし、義清は、1140年(保延6年)、23歳で出家してしまいます。

『西行物語』は、出家の原因を親友の佐藤範康の死と伝えているようです。


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~弓馬道を教えてもらった頼朝~

『吾妻鏡』によると・・・

鶴岡八幡宮で流鏑馬が始められた年の前年8月15日、鶴岡八幡宮に参拝した源頼朝は、鳥居の辺りを徘徊している一人の老僧を見つけます。

梶原景季に名前を尋ねさせたところ、佐藤兵衛尉義清という元北面の武士で、今は西行と名乗っているとのことでした。

鶴岡八幡宮奉幣の後、頼朝は西行を御所に招き入れて、和歌や弓馬のことについて尋ねます・・・

しかし西行は、

「弓馬のことは、出家する前まではその流派を伝えていましたが、1137年(保延3年)に出家したときに、藤原秀郷以来九代の嫡流家に伝わった兵法は焼いてしまい、罪業の原因ともなりますので心にも留めず、忘れてしまいました。

詠歌については、花月に対して心が動いたときにただ31文字を作るだけで、深く理解しているわけではありません」

と答えたのだといいます。

それでも、頼朝が再三にわたって尋ねたので、弓馬のことは一晩に亘って語ったといいます。

頼朝は、藤原俊兼にその口述を記録させたそうです。




翌日の正午ごろ、西行は頼朝御所を辞します。

頼朝は、このとき銀で作られた猫を西行に贈りますが、西行は、門の外で遊んでいた子どもたちに玩具として与えてしまったそうです。

西行は、東大寺復興費用の勧進のため奥州平泉へ向かう途中でした。

(※絵:「西行法師子供に銀猫を与ふるの図」)


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西行から弓馬道について聞いた頼朝は、翌1187年(文治3年)8月15日、鶴岡八幡宮で放生会を催します。

そして「流鏑馬」を奉納しました。

これが鶴岡八幡宮例大祭の起源となります。


小笠原流・流鏑馬

鶴岡八幡宮例大祭は9月14日~16日。

最終日の16日には小笠原流流鏑馬が奉納されます。


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「きゝもせず 束稲やまのさくら花 よし野のほかに かゝるべしとは」

平泉を訪れた西行は束稲山の桜を見て、

吉野の桜にも勝るとも劣らない」

と驚いたのだといいます。

中尊寺の東物見台に西行の歌碑が建てられています。




鎌倉検定


鶴岡八幡宮例大祭








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浜降式:鶴岡八幡宮例大祭

神幸祭:鶴岡八幡宮例大祭

流鏑馬


鶴岡八幡宮



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2024年9月14日土曜日

2024日向の彼岸花~臨時観光案内所とMAP~


源頼朝大姫の病気回復を願って参詣した日向薬師の麓の里山彼岸花の群生地。

9月21日(土)・22日(日)・23日(月祝)には臨時観光案内所が設置されます。



日向のヒガンバナは小田急伊勢原駅からバスで。

伊勢原駅北口3番乗場「日向薬師行」終点下車。



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日向薬師は薬師如来の霊場。

北条政子源実朝の正室・坊門姫と参詣しています。

10月6日の道灌まつりでは、「北条政子日向薬師参詣行列」を見ることができます。




日向の彼岸花


日向薬師

大山寺


日本遺産・・・大山


道灌まつり








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小出川の彼岸花

西方寺のヒガンバナ

常泉寺のヒガンバナ

英勝寺のヒガンバナ


鎌倉のヒガンバナ
ヒガンバナ


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2024年9月13日金曜日

2024鶴岡八幡宮例大祭日程




鶴岡八幡宮例大祭は、1187年(文治3年)8月15日に源頼朝が放生会を催し、流鏑馬を奉納したのがそのはじまりとされています。

9月15日の神幸祭では、本宮の三基の神輿が二の鳥居まで渡御します。

9月16日には、小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた小笠原流流鏑馬が奉仕されます。

流鏑馬の後には、源頼朝の挙兵を支えた土肥実平焼亡の舞も。





鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮神幸祭

小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮








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御霊神社例大祭

面掛行列


円覚寺開山忌


お十夜


ヒガンバナ

鎌倉の紅葉


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2024面掛行列~御霊神社例大祭日程~






御霊神社は、平安時代の開発領主・鎌倉権五郎景政を祀る社。

例大祭は景政の命日である9月18日に行われます。

神幸祭面掛行列は、神奈川県の無形民俗文化財です。


面掛行列


9月18日 正午
例大祭

9月18日 13:00
鎌倉神楽

9月18日 14:30
神幸祭(神輿・面掛行列出発)
※雨天中止




御霊神社例大祭

面掛行列


鎌倉権五郎景政


御霊神社








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鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮神幸祭

鶴岡八幡宮例大祭流鏑馬


円覚寺開山忌


お十夜


ヒガンバナ

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