円覚寺の宝物風入の期間中、鎌倉彫の現代作家20人の作品が境内の選仏場に展示されます。
8:30〜16:30
(最終日15:00まで)
入場無料(円覚寺拝観料は必要)
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源頼朝が武家の都とし、政治・文化・経済の中心として栄えた鎌倉には、多くの寺院が建立され、仏像の造立もさかんに行われました。
鎌倉に集まった仏師たちは仏像だけではなく、光背・台座・香合・食器・燭台などの仏具も制作していました。
鎌倉彫は、宋の工人陳和卿(ちんなけい)が持ってきた彫漆工芸「紅花緑葉」をもとに、運慶の子康運が作った仏具がはじまりと考えられています。
※「紅花緑葉」とは、朱漆と緑漆を交互に塗り重ね、朱漆の部分に花、緑漆の部分に葉を掘った工芸品のこと。
彫漆工芸は、漆を何百回も塗り重ねた漆の層に彫刻を施すもので、手間も時間もかかり費用もかかりました。
そこで考え出されたのが、木に彫刻してから、その上に漆を塗るという方法。
初めは宋の影響が残されていましたが、次第に日本独自の工芸品へと変化していきました。
それが今に伝わる「鎌倉彫」です。
室町・江戸時代になると茶道の流行によって、仏師たちは茶道具・文具・食器などの調度品を鎌倉彫で製作するようになり、宮廷や武家以外の町人の生活にも広がっていきました。
江戸時代の『三条西実隆日記』には、「鎌倉物」と記されています。
しかし、明治になると神仏分離令が出され、それに伴う廃仏毀釈の運動により、多くの仏師が職を失ってしまいます。
ついには、仏師の家は後藤家と三橋家のみとなってしまいますが、両家は、仏師としての副業であった鎌倉彫を本業とすることにし、パリ、ウィーン、アメリカで開催された万国博覧会に鎌倉彫を出品するなど、新時代の鎌倉彫制作に努力しました。
やがて鎌倉が別荘地、保養地として栄えるようになると、茶托・盆・菓子皿などの日用品としての需要も多くなっていきます。
そして、1979年(昭和54年)、「伝統的工芸品」の指定を受けるに至ります。
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