別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2026年10月24日土曜日

鎌倉彫20人展~円覚寺宝物風入2026~




円覚寺の宝物風入の期間中、鎌倉彫の現代作家20人の作品が境内の選仏場に展示されます。

8:30〜16:30
(最終日15:00まで)

入場無料(円覚寺拝観料は必要)


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源頼朝が武家の都とし、政治・文化・経済の中心として栄えた鎌倉には、多くの寺院が建立され、仏像の造立もさかんに行われました。

鎌倉に集まった仏師たちは仏像だけではなく、光背・台座・香合・食器・燭台などの仏具も制作していました。


鎌倉彫は、宋の工人陳和卿(ちんなけい)が持ってきた彫漆工芸「紅花緑葉」をもとに、運慶の子康運が作った仏具がはじまりと考えられています。

※「紅花緑葉」とは、朱漆と緑漆を交互に塗り重ね、朱漆の部分に花、緑漆の部分に葉を掘った工芸品のこと。

彫漆工芸は、漆を何百回も塗り重ねた漆の層に彫刻を施すもので、手間も時間もかかり費用もかかりました。

そこで考え出されたのが、木に彫刻してから、その上に漆を塗るという方法。

初めは宋の影響が残されていましたが、次第に日本独自の工芸品へと変化していきました。

それが今に伝わる「鎌倉彫」です。


室町・江戸時代になると茶道の流行によって、仏師たちは茶道具・文具・食器などの調度品を鎌倉彫で製作するようになり、宮廷や武家以外の町人の生活にも広がっていきました。

江戸時代の『三条西実隆日記』には、「鎌倉物」と記されています。




しかし、明治になると神仏分離令が出され、それに伴う廃仏毀釈の運動により、多くの仏師が職を失ってしまいます。

ついには、仏師の家は後藤家と三橋家のみとなってしまいますが、両家は、仏師としての副業であった鎌倉彫を本業とすることにし、パリ、ウィーン、アメリカで開催された万国博覧会に鎌倉彫を出品するなど、新時代の鎌倉彫制作に努力しました。

やがて鎌倉が別荘地、保養地として栄えるようになると、茶托・盆・菓子皿などの日用品としての需要も多くなっていきます。

そして、1979年(昭和54年)、「伝統的工芸品」の指定を受けるに至ります。


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鎌倉彫再興碑

窟小路


宝物風入

円覚寺舎利殿公開

円覚寺


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円覚寺の紅葉

北鎌倉の紅葉

鎌倉の紅葉


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